未熟さを捨て理解の道を真直ぐ歩め

箴言を読んでいると、はっとさせられる言葉がいっぱいある。


訳によって、他の訳だとあんまりよく注意して読んでいなかった箇所で、そのようにはっとさせられる場合もある。


私にとっては、以下の言葉がそうで、新共同訳ではいまいちしっかり読めてなかったのが、他の訳ではっとさせられた。


Leave your simple ways and you will live;
walk in the way of insight.”
(Proverbs 9.6)


「思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め」と。
箴言 第九章 第六節 口語訳)


浅はかさを捨て、命を得るために
分別の道を進むために。
箴言 第九章 第六節 新共同訳)


未熟さを棄てよ、そして生きよ。
分別の道を突き進みなさい。
箴言 第九章 第六節 旧約聖書翻訳委員会訳)


未熟さを捨てて生きよ。
そして、理解の道を真っ直ぐ歩め。
箴言 第九章 第六節 自分訳)


イズヴー・フェタイーム・ヴィヒュー・ヴェイシュルー・ベデレフ・ビナー


「未熟さを捨てよ」とは、なんと厳しい、耳に痛い、しかしはっとさせられる言葉だろう。


また、分別の道、理解の道を真っ直ぐ歩め、という勧告も、なるほどと思う。


人はしばしば、己の未熟さを捨てるどころか、かえって固執し、世の中が悪く自分は悪くないと思いがちなのかもしれない。


また、理解の道を真っ直ぐ歩むよりも、とかく妄想にそれたり、理解するよりも浅はかな思い込みのままでいることを好んでしまうのかもしれない。


常に未熟さを捨て、思慮深い成熟した精神になることを心がけること。
また、表面的な理解や思い込みではなく、より深い理解への道を真っ直ぐ進むことを心がけること。


これが、人生を良く生きるためには、最も大切な心がけなのかもしれない。


自分を振り返ると、いい年をしながら、未だに未熟なところが多々あると反省させられるし、理解の道を真っ直ぐ歩むどころかとかく脱線しがちなことに反省多々。


この箴言を拳拳服膺して、しっかりと未熟さを捨て、理解の道を真っ直ぐ歩むように努めたいと思う。