深い水

箴言を読んでいて、その言葉に心惹かれながらも、新共同訳を何遍読んでもどうも意味がわからず、原文を自分で見てみてやっと少しわかったところがある。


The words of the mouth are deep waters,
but the fountain of wisdom is a rushing stream.
(Proverbs 18.4 NIV)


The words of a man’s mouth are deep waters,
a flowing river, a fountain of wisdom.
(Proverbs 18.4 Holman Christian Standard Bible)


人の口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る。
箴言 第十八章 第四節 新共同訳)


「人の口の言葉は、深い水であり、泡立つ小川、知恵の泉である。」
箴言 第十八章 第四節 自分訳)


マイム・アムキーム・ディヴレー・フイ・イッシュ・ナハル・ノヴェア・メコール・ホフマー


この箇所は、NIVやジェームズ欽定訳を読んでもいまいちよくわからず、ホルマン訳というのを参照して、やっと手がかりがつかめた。
原文を見ると、主語は「人の口の言葉は」だけであり、あとは全部それにかかっているとみなすべきと思う。


つまり、人の言葉というものは、深い水のようなものであり、泡立つ小川のようなものであり、知恵の泉にもなる、ということだと思う。


一般的な人の言葉というよりは、箴言の言葉や福音書の言葉、あるいはさまざまな名著や古典などを念頭に置くと、よくわかる言葉だと思う。


それにしても、「深い水」とは何だろう。
これは、通常の人間の意識ではない、奥深い深層意識や魂の領域の思いや言葉、というものではないだろうか。


私たちの通常の意識ではよくわからない、深い心の領域が、たとえば聖書や仏典やすぐれた文学の言葉に触れていると呼び起こされるような気がする時がある。


そのような本当の言葉、知恵の言葉を、ここでは「深い水」と言っているのだと思う。


浅い水ではなく深い水の言葉を。
よどんだどぶ川ではなく、清冽な小川の言葉を。
愚かな言葉ではなく、知恵の泉となる言葉を。


前者ではなく、後者に触れていくことが、人生を深め、清くし、意義あるものにしていくのだと思う。


流行の本の中にも稀には良いものもあるのだろうけれど、たいていは玉よりも石が多い。
古典をしっかり読んでこその人生だと、あらためて教えられる言葉だと思う。


私はハイデッガーは不案内なのだけれど、浄土真宗の僧侶で哲学者の大峯顕先生の御話によれば、「根源語」という、通常の道具としての言語とは異なる言語の領域をハイデッガーは呼んでいるそうである。


聖書や仏典やすぐれた文学作品の言葉などは、いわば「根源語」、根源の領域、深い水の言葉なのだと思う。