釈尊のこと

今日は、花祭りの日。


日本においては、釈尊のお生まれになったことを祝う日である。


他の仏教国ではそれぞれ釈尊のお生まれになった日を祝う日が異なっているようで、歴史的にはいつだったのかおそらくははっきりは今となってはわからないのだろうけれど、かつてこの地球に釈尊が生れて育ち、自ら王位を捨てて出家修業し、ついに悟りを開いて四十五年間説法し、安らかに涅槃を迎えた、ということは、まぎれもない真実。


もしその生涯がなければ、今世界のあちこちに今も仏教が伝わることはなかったろう。


釈尊は三十五才で悟りを開いたあと、毎日二〜三時間の睡眠で、一日に五回説法をしたという。
伝説では八万四千回の説法をしたと言われている。


その結果、それまではバラモン教だった全インドが、釈尊の努力によって数十年の間にほとんど仏教に変わったという。


しかし、世は無常。
今はインドほとんどでは、ヒンドゥー教がほとんどであり、仏教はごくごく少数になってしまった。


そんな中で、スリランカは、ずっと昔から仏教国として存続しつづけ、今も国民のほとんどが仏教であるという稀有な国である。


私はたまたま縁あって、ある日本に滞在されているスリランカの僧侶の方に、この五年間ぐらい、しばしば初期仏教について教えていただく機会があった。
そのたびに、驚天動地の圧倒的な智慧と慈悲を感じてきたものである。
また、その方の師にあたるスリランカの大きなお寺の管主様にも、何度か来日された時にお会いして、仏教の教えを聞くことができたが、その智慧と慈悲は、ただただ歓喜させられるばかりだった。


私は、そのお世話になったスリランカの僧侶の方々を通して、なんとなく釈尊のありし日の御姿を想像する。
それは、きっと、はかりしれない慈悲の、優しいぬくもりに満ちた御姿だったろうと思う。


もちろん、仏教国はスリランカだけでなく、チベットや日本等も仏教国である。


縁あって、何度も浄土真宗のお寺で仏教の聴聞をする機会が私はあった。
そこで見た、いろんなお坊さんや、仏法聴聞をよろこぶおばあさんたちの、優しい柔和な姿も、まぎれもなく、遠くインドから伝わった仏教が日本に蒔いた種が育ったひとつの姿だと思う。


また、チベットの仏教では、ダライラマの講演を四回以前聞いたことがあり、そのうち二回、たまたま直接質問して御答えいただくことができた。


その時に感じた慈悲と智慧も、本当にはかりしれないものだった。


世界のさまざまなところで、釈尊から発した智慧と慈悲は、今も生き続けているのだと思う。


ただ、残念ながら、日本に数は多くある寺院や、一応形式上は各宗派の檀家や門徒である大勢の人々に、今日どれぐらい釈尊の慈悲や智慧が伝わっているかは若干心もとない気もする。
自分自身、さまざまな稀有な機会に恵まれながら、どれほど釈尊の慈悲や智慧を学び実践できているかは、真に心もとない。


“Vaya dhamma sankhara appamadena sampadetha.”
ワヤ・ダンマー・サンカーラー・アッパマデーナ・サンパーデータ


「形あるものは、滅していくものです。
不放逸に、(なすべきことを)達成しなさい。」


というのが、釈尊の御遺言だったという。
釈尊の生涯を貫くのは、実にこのような智慧とまごころであったのだと思う。


後世の者も、どれぐらい、人もものごとも限りあるものでいつかは移り変わっていくということと、その認識の上で今機会のあるうちになすべきことをなしとげようと怠らず努力するか。
その努力の程度に、自らの人生も世の中も、どれぐらい穏やかなものになるかもかかっているのかもしれない。


釈尊一人が世に現れたことで、どれぐらい世の中がその時もその後も穏やかになったかを思うと、後世の人間も遠く及ばぬながら自分なりにできる範囲でそのようでありたいと思う。