善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第四十七節
質問します。み仏の教えに依拠して精励努力して、日夜六つの時間帯に礼拝・念仏・観想・読経し、戒をよく保って一心に輪廻の苦しみを厭い、三途の苦しみを恐れて、この一生を終えて阿弥陀如来の浄土に往生しようと誓願するものがいたとしても、場合によっては残りの罪や煩悩が十分消えてなくならず、十善戒に違反することを今行ってしまっているかもしれません。このような煩悩の障りがあると自覚するならば、どのようにして取り除き、滅することができるでしょか。詳しく仏教の経典を引用してその方法を示して下さい。
お答えします。仏教の経典から答えるならば、『観仏三昧海経』に以下のような意味のことが説かれています。
「釈尊は、父である王やさまざまな人々のためにお説きになられました。「過去にある仏がおられました。空王という名前でした。その像法の時代に、四人の僧侶がいました。彼らは戒を破り、重い罪を犯していました。その時、空王仏は、夜空いっぱいに声を出して、四人の僧侶に告げておっしゃいました。「あなたたちが犯していることは不可救(救うことができない)と呼ばれます。罪をなくしたいと思うならば、私の仏塔の中に入って、私の姿を観想し、心を至して懺悔し、この罪を滅すべきです。」と。
その時、四人の僧侶たちはあらゆることを捨てて、一心に教えを受けて仏塔に入り、仏像の前において自らを打ち、大きな山が崩れるように懺悔し、地面に転げまわって号泣し、空王仏に向かって日夜懺悔を続けること死に至るまで行いました。命が終った後、空王仏の仏土に生れることができました。」」と。
いま、この経典によって証明しました。念仏者の方々は、懺悔しようとする時、この教えの道によりなさい。
「釈尊はおっしゃいました。「もし私が入滅した後のさまざまな仏弟子たちは、さまざまな悪を捨てて離れて、わずかな言葉の教えを願い、日夜六回の時間帯に、それぞれに分けて少ない時間をとって、その短い間、ほんの一瞬であっても、仏の白毫を念じるものは、もしもはっきり見えなかったとしても、そのような人たちは九十六億ナユタ劫ものガンジス河の砂の数ほどの劫の長い間輪廻に苦しまなければならない業が取り除かれます。もしまた、ある人が、この白毫(を念じること)について聞いて、心を驚かせたり疑ったりせず、喜んで信じ受けいれるならば、その人もまた八十億劫もの長い間迷いの輪廻で苦しまなければならない罪業が取り除かれます。もしくは、さまざまな出家と在家の男女が、四重禁(僧侶に厳禁されている殺人・窃盗・性交渉・大妄語(悟りを自称する)の四つ)や十善戒に違反する罪、五逆罪や大乗仏教を謗る罪を犯したとします。このような人がもし懺悔して日夜六つの時間帯において身も心も怠ることなく、山が崩れるように五体投地し、号泣して涙を流し、合掌して仏に向かい、仏の眉間の白毫を念じること一日から七日の間に至れば、上記の四つの罪業は軽くかすかなものにすることができます。白毫を観想するにあたっては、暗くてよく見えない時は、仏塔の中に入って眉間の白毫を観想すべきです。一日から三日に至るまで合掌し懺悔の涙を流しなさい。また、しばしの間このことを聞くことも、三劫もの間の罪劫を除きます。」と。
釈尊は、父の王、およびアーナンダ尊者にお告げになられました。
「私は今、あなたのために身体の相や光明をすべて現します。もし善くない心がある者や、仏の禁じた戒めを破っている者は、それぞれに仏を見ても同じではなく映ることでしょう。」と。
その時、五百人の仏弟子たちは、仏の御身体を見ると、まるで灰でできた人のようでした。千人の僧侶が、仏の御姿を見ると、まるで赤い土のようでした。十六人の在家の男性、二十人の在家の女性が、仏の御姿を見ると、真黒でした。さまざまな出家の女性が、仏の御姿を見ると、銀色のようでした。
その時、さまざまな出家と在家の男女たちは、釈尊に申し上げました。
「私はいま、仏の素晴らしい御姿(妙色)を見ることができませんでした。」と。彼らは自ら頭の髪の毛をむしり、身体を地面に投げ出して、号泣して涙を流し、みずからを打って転げまわりました。
釈尊はおっしゃいました。「仏弟子よ、如来が現れるのは、あなたたちが罪業を除き滅するためです。あなたはいま過去七仏の名前を称え、仏に向かって礼拝すべきです。あなたの前世での邪見の罪を説きましょう。あなたはまさにさまざまな徳のある僧侶たちに向かって懺悔し、仏の言葉に従って、仏法を聴く人々の間で山が崩れるように五体投地をし、仏に向かって懺悔すべきです。すでに懺悔し終わったならば、心の眼を開くことができて、仏の御姿を見て、心に大きな喜びを感じることでしょう。」と。
釈尊は、さまざまな僧侶たちにお告げになられました。「あなたたちは過去世ではかりしれない劫の時間、邪見を持って師を疑い、戒を守ることもなく虚しく在家の人々からの施しを受けました。この因縁のゆえに、餓鬼と地獄に堕ちて八万年もの間苦しみを受け、いまやっと出ることができましたが、はかりしれない人生の回数に渡って仏を見ることができず、ただ仏の名を聞くだけでした。そのような人が仏の御身体を見ると赤土色のようで、一メートル五十センチ(五尺)ぐらいです。」と。
釈尊がこの言葉を説き終ると、千人の僧侶たちは仏に向かって懺悔し、山が崩れるような五体投地をし、悲しみに号泣して涙を流すと、まるで風が重い雲を四散させるように、仏の御顔が明らかに現れました。仏をいまや見ることができたので、僧侶たちは大喜びし菩提心(悟りを求める心)を起こしました。
釈尊は父の王にお告げになられました。「この千人の僧侶たちは心をこめて仏の教えを求め、心に怠りがありませんでした。仏は、将来悟りを開くという保証を与えて、彼らを同じく南無光照如来と呼びます。」と。
これらの懺悔の方法は、『観仏三昧海経』の第二巻と第三巻に出てきます。