「洪鐘響くといえども、かならず扣(つ)くを待ちてまさに鳴る。」

今日、善導大師の観経疏を読んでたら、なるほどーっと思う表現があった。

「洪鐘響くといえども、かならず扣(つ)くを待ちてまさに鳴る。
大聖の慈を垂れたまうこと、かならず請を待ちてまさに説くべし。」

現代語訳してみるならば、

「鐘は鳴るとしても、人が撞いてからはじめて鳴る。
それと同じように、仏が慈悲の説法をするのも、人が質問をしてはじめて行われる。」

ということだろう。

なるほどと思う。

私は幸い、いろんな機会に、いろんな方々に質問させていただいてきた。
講演会の質疑応答の時間などもよく質問してきたし、その他にもいろんな機会にいろんな人に質問してきた。

どれも、その質問あってこその、いろんな貴重な御話を聴くことができた。

特に、デ長老は、どんな質問にも間髪入れず完璧な素晴らしい智慧の返答があって、本当にたびたび驚嘆してきたものである。

「洪鐘響くといえども、かならず扣(つ)くを待ちてまさに鳴る。」

本当にそうだなあと思う。

そうであればこそ、積極的に問い、質問していくこと、つまり鐘をつくことは、とても大事なことだと思う。