本当に野田政権を倒して政治が良くなる見通しはあるのか?

本当に野田政権を倒して政治が良くなる見通しはあるのか?


場合によっては、内閣不信任案が可決されるかもしれない情勢となってきた。


この二十年、短命政権ばかりころころ変えて、何かひとつでも良いことがあったろうか?
首相の首をすげ替えれば政治が良くなると思うのは幻想に過ぎないと、我々はもう十二分に知ってきたはずではないか?
愚かしい。


原発の観点から、野田さんに対し敵意を持つ人がどうも最近は多いようだ。
しかし、シリアやリビアのことを考えて欲しい。
デモに向かって発砲したり拷問を加える国など世界にはざらだ。
ましてや野田さんはデモの代表と対話すると言っている。
原発推進に熱心なのは首相というより、経産省官僚や経団連であることも忘れるべきではない。


野田さんを反民主主義だなどと言っている人々は、一度シリアか北朝鮮に行ってきた方がいいのではないか。
カンボジアでは今でも、何か政府を批判すると、いつの間にやら姿を消すことがざらにあるという。
言論の自由と対話の機会が我々にはある。
敵意や対立を煽るのでなく、理性と対話で政策を実現すべきだ。


ちなみにほとんどあまり知られてないみたいだけれど、野田さんは、これから独立行政法人を四割減らし、特別会計を17から11に減らし勘定も半分に減らすと明言している。
むしろこの言質をとって、特別会計のメス入れや改革を野田政権に進めさせた方が、行政改革のためにも良いのではないか。


小沢派は、特別会計の改革と口先では言うが、では具体的にどこがどう問題でどう変えるべきかということは全然言わないし、答えない。
それに比べれば、これから独立行政法人を四割減らし、特別会計を17から11に減らし勘定も半分に減らすと明言している野田さんの方が、余程特別会計改革も期待できる。


野田さんに明言してたとおりきっちり特別会計の改革をやってもらおう。
また、つい最近、野田政権で閣議決定された「日本再生戦略」も、ほとんどマスコミ等では取り上げられないが、明確に原発からグリーンへ移行することが説かれている。 
http://www.npu.go.jp/policy/pdf/20120731/20120731.pdf
菅さんの新成長戦略等を継承し、明確に原発からグリーンへ、グリーンイノベーションが記されている。
これの実現と、あと脱原発基本法の早期実現を図るためには、安易な短命政権化がいいのか私は疑問。


菅政権を無責任に叩き降ろして、何か一つでも日本にとって良いことはあったろうか?
かえって脱原発は減速し遠のいた。
同様に、野田政権を壊しても、良くなるどころかかえって悪くなる可能性も高い。
野田さんが言っている特別会計改革も遠のく。
政治の混迷も続く。
政治的麻痺が深刻化する。


政治とは、悪さ加減の選択の問題であり、無責任に見通しもなく何かを破壊すことは絶対に避けるべきであるという、最低限の政治的センスも慎慮も持たない国民は、主権者の資格ははっきり言ってほとんどない。
少なくとも、善き主権者とは言い難い。


無責任に反権力のポーズをとる方がカッコいいという感覚は、もういいかげんに卒業すべきだろう。
何かの政策を実現するためには、単なる反権力ではなく、緻密な情勢分析と、具体的な政策や目標が大事だ。


脱原発派が今すべきことは、脱原発基本法を実現することだ。
そうすれば、日本は変わる。
脱原発基本法の草案では、「政府は、毎年、国会に脱原発基本計画の実施状況に関する報告書を提出しなければならないこと。 」と年次報告が義務化されている。
この法案をなんとか実現すれば、国民や国会の監視が脱原発のプロセスについて行きわたるようにすることができる。


野田政権に、民主党に、今民主党内で提案されている脱原発基本法をしっかりと立法化してもらおう。
内閣不信任案が通って、選挙となり、また政界再編ごっこが続けば、それらはいったいいつになったら実現するのか。
大事なのは政局ではなく政策だ。


「安定した政治的統合を築くこと」これは誰かがやってくれることではない。
他ならぬ国民自身が、自ら心がけ、築かなければならないことだ。
そのためには、多少不完全な政権であっても、良いところがあればそれを伸ばし、支えるべきだ。
無責任な破壊は、政治的統合の不安定化と政治的麻痺を招くのみだ。
政局よりも政策。
まずは”脱原発基本法”の実現を目指そう。
特別会計の改革を支持しよう。
我々はこの国の部外者ではなく、当事者だ。
統治を批判すればいいものではなく、統治に参加している一員だ。
民主党であろうと、自民党であろうと、生活党であろうと、共産党であろうと、どの党派であろうと、我々は日本という国の一員だ。
もういいかげん、不毛な政界再編ごっこはやめて、政策を進めよう。
それが我々の同時代と、そして将来世代への責任だ。