人間の心の強さとは へこたれぬこと 続けること 

ふと「人間の心の強さとは何だろう?」と考えた。


たぶん、とりあえず生きのびることができる人、バッシングを受けても折れない人、落ち込まずに再び気をとりなおすことができる人、などが心の強い人なのだと思う。


その点、内村鑑三福沢諭吉などは、とてつもない心の強さを持っていた気がする。
ただ、はじめからそうだったというわけではなく、いろんな試練を彼らなりに乗り越えていく中で、とてつもない精神のタフさを彼らは手に入れたのだろう。


数多の試練や困難にめげることなく、とりあえず生き切ったというだけで、それぞれにその人は心の強さを持って発揮したと言えるのかもしれない。
親鸞石川三四郎などもそういう人だったと思う。
ただ、それはあくまで結果的に言えることで、途中ずっとそうだったわけでもないかもしれない。


柔軟さや慈悲や周囲から吸収し学ぶ力というのも、長い目で見た時に、心の強さを身につけていくために重要に思える。
意志やガンバリズムだけでは途中で折れるかもしれないし、慈悲がなければ途中エネルギーが枯渇するだろう。
一見強さと反対に見えるものが、実は本当の強さの秘訣かもしれない。


好き嫌いは別にして、政治家の精神力や心のタフさはすごいものだと時折思う。
菅さんも小沢さんも鈴木宗男さんも辻元さんも、あんだけ叩かれてへこたれずにしぶとく生きているだけでたいしたものだという気がする。
中には簡単に自殺してしまう政治家もいるが、結局政治もしぶとさが最も肝要かもしれない。


脱原発や反原発の運動というのもどれだけ息長く続けることができるかが大事だと思う。
短期のイシューだけで、かつ怒りだけで動いていると長続きしないだろう。
慈悲の心から、脱原発基本法という制度としての立法をめざし、かつ法が実現したらその実行を行政に絶えず迫り監視する。
それが大事と思う。


人も、何かへの取り組みも、とりあえずへこたれず、気長に持続して続けていくことが大事だと思う。