源信和尚は、まだ幼少の頃、ある時にこんな夢を見たそうだ。
お寺に行くと、さまざまな鏡がお堂の中に置いてあって、大きいものや小さいものや、さまざまな種類の鏡があった。
お寺のお坊さんが、その中から、源信に小さな曇った鏡を手渡した。
「自分は大きな明るい鏡が欲しい」、と源信が言うと、
「お前には大きな明るい鏡ではなく、この小さな曇った鏡が渡されるべきなのだ、これを受け取って横川に行き、そこでよく磨きなさい」、
と言われて、そこで目が覚めたそうだ。
その当時は「横川(よかわ)」というところがどこにあるかも知らず、そもそも聞いたことのない地名だった。
しかし、のちに出家して、比叡山に横川という場所があることを知って、そこでこの奇遇に深く感じるものがあり、生涯を横川での仏教研鑽に明け暮れることにしたそうである。
なんだか、いろんなことを考えさせられる夢のエピソードである。
『日本の名著』に収録されている「延暦寺首楞厳院源信僧都伝」などの伝記には、以上のエピソードが書かれているだけで、夢解きは書かれてない。
この夢を見たあと、源信が母親にこの夢の話をすると、
源信の母が、
「その小さな曇った鏡というのは、あなたはまだ小さくて、愚かだから、そのことを現しているに違いない。
謙虚に、そして怠ることなく、あなたの智慧を磨きなさいということですよ。」
という意味のことを諭して、源信が発奮した、という話が書いてあった。
(出典はいまいちわからず。)
源信の母は、出家して若くして頭角を現した源信が、天皇に講義をするほどになり、その時に贈られた贈り物を母に送ったところ、
世の中を救うために出家したはずなのに、名声や利益を喜ぶ普通の世渡りの僧になってどうするのか、
という意味の和歌を送り、源信はそれを読んで猛省して、以後名声や権力者に気に入られることを一切求めず、学問や修行に専心した、
という話は、有名な話だけれど、この夢解きの話も、きっと賢い、立派な御母さんだったんだろうなぁという風に思わされる。
源信は母が亡くなったあと、母こそが自分を磨いてくれた砥石だった、という意味のことを言ったそうだけれど、本当にそうだったのだろう。
源信和尚が子どもの頃に見た夢は、もう一つ、人は誰でも、自分に与えられた境遇で一生懸命己を磨くことこそが大事だということを語っているような気がする。
源信の母が言いたかったことも、そういうことなんじゃないかと思う。
私も、小さな曇った鏡を、自分なりに精進して、少しは磨くことを心がけよう。