往生要集に出てくる不思議なエピソード

源信和尚の『往生要集』に、とても面白い話が載っていた。
玄奘三蔵の『大東西域記』からの引用らしい。


どういう話かというと、


あるところに、一人の博士がいた。
錬金術やさまざまな仙術を極めていたけれど、まだ雲に乗って移動する術は身に付けていなかったので、書物で調べてなんとか身につけたいと思った。


それで、方法をやっと見つけた。
その方法というのは、一人の強い武士に長い刀を持って壇上の隅に立ってもらって、一晩の間一言もしゃべらず黙っていてもらい、博士本人は壇の中央で呪文を唱えれば、夜明けにはその仙術を身に付けることができる、というものだった。


そこで、博士は国中を探して、これはと思う人物を見つけ出した。
さまざまな恩義を与えて、仲良くなり、このことを依頼すると、
その武士は、必ず守ると固く約束してくれた。


それで、博士は武士に壇の隅に夜明けまで黙って立ってもらうことにし、その儀式を実行した。


あともう少しで術が完成、というところで、突然その武士が声をあげた。
なので、術が破れて、儀式は失敗に終わってしまった。


「あれほど約束したのに、どうして声をあげたのですか?」


と博士が武士に詰め寄った。


すると、武士は以下のように答えた。


「約束のとおりにしていたら、その夜遅くに、私が昔仕えていた主人が現れました。
いろいろ話しかけてくるのですが、博士との約束があるので、黙っていました。
すると、昔の主人は怒りだして、私を刺殺しました。
それでも私は博士との約束があるので、黙っていました。


それから、私は南インドの大きなバラモンの家に生まれました。
生れる時にも、約束があるので、一言も声を出しませんでした。
結婚し、親が亡くなる時も、子どもが生れた時も、博士との約束があるので、一言もしゃべりませんでした。
親族や友人たちは、皆不審に思い、あやしんでおりました。


私が六十五歳になった時に、私の妻が言いました。


「あなた、何か口をきいてください。もし一言もしゃべらないならば、あなたと私の間に生まれたこの子を殺します。」


そして、本当に殺そうとするので、


「すでに生まれ変わってから随分時が経った。もう私は年をとり、この幼い子どもしかいない。妻のこの行為を止めなければ」


と思い、思わず声を出したところ、忽然と夢から覚めました。」


と、このように武士は語った。


それを聞いて、博士は、「自分が間違っていた、自分は何か魔にそそのかされていたに違いない、あなたが声を出したことは仕方がないことなので、気にやまないでくれ」


と言ったのだけれど、武士は約束を違えたことを恥じて悲しみ、ほどなくして亡くなった。


という話だった。


ほんの短い話なのに、なんだか一篇の映画を見たような感がある、すごい話だ。。


「夢の境、かくのごとし。 諸法もまたしかなり。
妄想の夢、いまだ覚めざれば、空において、いひて有となす。 ゆゑに『唯識論』にいはく、「いまだ真の覚を得ざるときは、つねに夢のなかに処せり。 ゆゑに仏説きて、生死の長夜となしたまふ」と。」


源信は、この話に続けて、こう締めくくっているけれど、本当にそう思う。


この話のように、私たちの一生というものも、長いようで、何かほんの一瞬の夢のようなものなのかもしれない。
しかも、迷うばかりの、迷いの中の、誤った夢であることも多いのかもしれない。


人生が一幕の夢だというのは、『邯鄲の夢』や『南柯太守伝』などにも出てくる、よく聞く話だけれど、なんだかこの話は、格別この世を厭う気持ちが湧いてくるような、えっらく迫力のある話だと感じる。
芥川龍之介中島敦が小説に仕立て直したら、さぞかし面白い小説になったのじゃないかと思われた。