
- 作者: おぎのいずみ
- 出版社/メーカー: 石風社
- 発売日: 2002/08
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
福岡における享保の飢饉の物語。
涙なしには読めなかった。
江戸時代中期、1732年の夏に起こった享保の飢饉の時は、福岡藩では人口の五分の一、およそ七万人が餓死したそうである。
一説には人口の三分の一が餓死したという。
今でも福岡のあちこちに、中洲川端や桜坂、万行寺や徳正寺や顕乗寺などに、享保の飢饉の時に亡くなった人々を供養するための、飢え人地蔵と呼ばれる地蔵菩薩が祀ってある。
本当に悲惨な出来事だったろう。
ひどい話と思ったのは、幕府が福岡藩のために救援米を十三万六千石送ったのに、福岡藩は優先的に家中の武士に分け与えて、飢えた庶民には五万三千石しか分け与えなかったという。
つまり、残りの八万三千石の米を、人口比率で言えば圧倒的に少ない武士たちだけで独占したわけで、武士は一人も餓死しなかったそうだ。
江戸時代ってのは、本当、露骨な階級社会だったんだろうなぁとあらためて思った。
もっとも、中には心ある武士もいたらしくて、西区の上ノ原という小高い丘にある六地蔵は、今宿の横浜で飢えている人のために粥が振る舞われると聞いて、最後の力を振り絞ってそこまで歩いて行こうとして、この丘を越えることができず多くの人が飢えて亡くなっていたのを、近くに住む武士の家族たちが供養のために建立し、江戸時代の間はずっと定期的な供養の法事を欠かさなかったという。
それにしても、わずか三百年ほど前には、同じ福岡で、それほど食べ物が不足していた時代もあったということを思うと、三度三度の食事を満足に食べられるだけでありがたいなぁとしみじみ思う。
今でも世界には飢餓に苦しみ地域があって、享保の時の人たちと同様の苦しみにあることを思えば、あだおろそかに生きたらいけないとも思う。
あれこれ、関連の文献も、そのうち時間ができたらつぶさにあたってみたいなぁと思う。