メモ帳

キリストは わが人生の かなめ石



国が建てられたことを祝う日があるのに、天地創造を祝う日がないとは。
聖書を読んでいると、そのことがちょっと気になる。
国の恩も大きいが、天地自然の恵みはそれをはるかに上回る。




「仰げこの 道は名におふ 国の風 生きとし生ける ことわざぞこれ」
後西天皇
言葉のわざである歌や文の道こそ、すべての命を生かすものであり、日本の道であり伝統だ、といった意味だろう。


「へだてじな 人の恵みは 春とともに 世にみちのくも 花のみやこも」
後西天皇
春が遠い東北も京の都も隔てなく来るように、人に対する慈しみや恵みもへだてなくあろう、ということだろう。


「おほぞらの 月をぞ仰ぐ いにしへも 今もかはらぬ 秋の光に」
後西天皇

遠い昔の時代も、今の時代も変わらない月の光を仰ぐ。そのように、真理や道というものを、昔の人ともに、今の時代において仰ぎ見つめる、という意味だろう。



「いとふべき 風の憂ささへ 忘られつ 花の色香に そむる心は」

後西天皇「水日集」)



世の中や時代の風の心配やつらさが忘れられるほど、春の花の香りと色彩は美しい、という意味だろう。




「気位が高いよりも気が長いのがよい。 」
(コヘレトの言葉 第七章 八節)


「知恵は人間を慈しむ霊である。」
(知恵の書 第一章 六節)



「知恵は武器にまさる。」
(コヘレトの言葉 第九章 十八節)



「主の祝福こそ、
信仰深い人の受ける報いなのだ。
主は、幸せの花を、
速やかに咲かせてくださる。 」
(シラ書 第十一章 二十二節)



「俺はあんた達の仲間にはならない。」
「なんだと、だったら、なぜおれを助けた?」
「こんなひどい親だって、俺の親だからな。
こんな世の中だけど、俺は生まれてきてよかったと思ってる。
それだけはあんたにも、感謝しなくちゃな。」
「それだけかよ?」
「それだけで十分だろ、それじゃな。」
(『レミゼラブル 少女コゼット』第三十五話 ガヴローシュのセリフ)



「しかし、君たちのしたことは無駄ではない。
君たちがこのバリケードでともした灯りは、今日立ち上がらなかった人々の心にも小さな火種を残すだろう。いつかその小さなあかりが寄り集まり大きく赤々と燃え上がるとき、再び革命が起こり、そのときこそ国は変るんだ。
人類の歴史というのは、おそらくこうやってともされるたくさんの灯りによって、ゆっくり進んでいくものだ。暗い過去を抜け出し、明るい未来へと。」
(『レミゼラブル 少女コゼット』第四十四話 ジャン・バルジャンのアンジョルラスに対するセリフ)


民主党政権自民党よりも良かったと思えること:
自殺者数が大幅に減り十五年ぶりに三万人を下回った。
資金繰り支援の効果で倒産件数も二十一年ぶりの低水準になった。
国際人権A規約の漸進的教育無償化条項の留保を撤回し、高校無償化を実現。
再エネ法を実現し、脱原発推進。
その他多数。




「私のお母さんも死んでしまって、会えなくなって寂しかったけど、時々話しをするの。嬉しいことや悲しいことや、あなたのことも。会えないからって、すべてが消えておしまいになったわけじゃない。私がいればお終いにはならないの。」(コゼット 47話)



「人は誰も平等に、たった一つの命をもらってこの世に生まれてくる。
しかし、生まれた後の人生は決して平等とはいえない。
自由を奪われ、貧しさや飢えに苦しむ人びとが多くいて、その人達の命は悲しいほど軽く扱われている。
けれど、そんな世の中を変える方法はとても簡単なことだ。
一人一人がまず自分自身を大切にして、他の人のことも、自分と同じように大切にする。
それができれば、いつかきっと、誰もが力いっぱい自分らしく生きられる世界になる。人は変わることができる。人類も同じだ。」
(『レミゼラブル 少女コゼット』第五十二話 ジャン・バルジャン


「私がミリエル司教様から受け取った、闇を照らすあかりを、今度は君たちが受け継いでいって欲しい。そして、君たちの子供たちや、またその子供たちに・・・。私はそんなに遠くにいくわけじゃない。いつも君たちを見守っている。コゼット、マリウス、幸せに。」
(『レミゼラブル 少女コゼット』第五十二話 ジャン・バルジャン


"Exagorazomenoi ton kairon" 
エクサゴラゾメノイ・トン・カイロン
(エフェソ 5.16) 時をよく用いなさい。

キリスト者の採点、勤務評定は、この従順さ、素直さ、言葉をかえていえば、神への信仰、信頼が問題となるのであります。この地上、五十年あるいは七十年何をしたかということよりも、神との関係においてどういう態度をとったかが問題であります。いかに神の命に素直に生きたかが問題であります。」
昭和四十七年発行の『祈の花輪』という福岡聖書研究会の冊子を読んでいたら、その三年前に八歳で天に召された稲葉行則さんという方への弔辞が載っていて、この一文があり胸打たれた。血友病だったそうである。「いやし得ぬ病を負うて八年の燔祭の日々君らささげし」という追悼の歌も胸打たれた。


「死を感謝している、とても有難い、真の信仰を頂いていれば、死が一番有難い、天国行きだから。そして信仰を頂いていれば愛敵だからすべてに感謝・・・」
(田中謙治 『祈の花輪』第一集、109頁)


「私たち個人のどんな小さな出来事も、
時と場所を超えて縦横無尽、
有機的に結ばれています。
そして、そこに人の意志を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。
この広大な縁(えにし)の世界で、
誰であっても、
無意味な生命や人生は、
決してありません。」
中村哲さん)


内村鑑三「悪とは神を離れて存在することなり。神とともに在りて万事万行一として善ならざるはなし。我らは悪を避けんとするよりはむしろ神とともならんことを努むべし。然れば我らはおのずから善を為すを得て悔改の苦痛を感ずること無きに至らん。」