現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十三節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十三節



念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


一たび浄土に入ったならば、二度と退転することはなく、悟りに至ります、
(はかりしれない喜びよ)


宝石でできた地面はどこまでも平らかで、さまざまな宝が混じりあっています、
(浄土への往生を願います)


ひとつひとつの宝からは、百千もの光が出ています、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつひとつの光は、宝の台座となったり、
(浄土への往生を願います)


光が変化して楼閣となったりして、百千億もの変化をしています、
(はかりしれない喜びよ)


神通力によって現れた天の子どもたちは、数えきれないほどで、
(浄土への往生を願います)


彼らはすべて皆、念仏往生の人たちです、
(はかりしれない喜びよ)


ある者たちは、宝石でできた椅子に登ったり、楼閣の中で遊んだりし、
(浄土への往生を願います)


飢えも渇きもそこには存在せず、いつも穏やかで安らいでいます、
(はかりしれない喜びよ)


ある者たちは、何百もの宝石で光り輝いている宮殿に入り、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の説法の集まりに遇って、阿弥陀如来を讃歎します、
(はかりしれない喜びよ)


ある者たちは、「今から仏の悟りの境地に至るまで、
(浄土への往生を願います)


はかりしれな長い時間の間、み仏を讃歎してみ仏の慈悲のめぐみに報います」と述べます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の御本願の働きを受けなければ、
(浄土への往生を願います)


いつの時に、いつの時代に、この娑婆世界を脱出することができるでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)


浄土に至れば、それからはずっと仏法を聴く喜びがあり、
(浄土への往生を願います)


ずっと十悪(十善戒に違反すること)の声を聞くこともありません、
(はかりしれない喜びよ)


眼には如来の御姿を見、耳には仏法を聞いて、
(浄土への往生を願います)


身は常に仏に従って、喜び、あるいはあわれみの心(悲)を起こします、
(浄土への往生を願います)


なぜ、今日ただいま、浄土に至ることを願う気持ちが心に定まったのでしょうか、
(浄土への往生を願います)


実に、この娑婆世界の本当の師である釈尊の御働きのおかげです、
(はかりしれない喜びよ)


もし、本当の師である釈尊や御同行の方々が勧めてくださるのでなければ、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の浄土にどのようにして入ることができるでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


浄土に往生することを得て、師の恩に報いなさい、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく、ご縁のある、出家と在家のすべての方々にお勧めします、
(浄土への往生を願います)


必ず、心を専らにして、み仏の教えを行いなさい、
(はかりしれない喜びよ)


念仏し、心を専らにしてお経を読誦し、観察し、
(浄土への往生を願います)


浄土の荘厳を礼拝し讃嘆し、心を乱したりいいかげんにすることがないように、
(はかりしれない喜びよ)


行住坐臥に、心をずっと礼拝讃歎に向ければ、
(浄土への往生を願います)


極楽の荘厳が自然と見えるようになります、
(はかりしれない喜びよ)


極楽の荘厳を想い、あるいは観察すれば、罪業の障りは取り除かれていきます、
(浄土への往生を願います)


これは皆、阿弥陀如来の御本願の働きのおかげです、
(はかりしれない喜びよ)


仏のお働きのおかげで高度な集中状態の瞑想が成就します、
(浄土への往生を願います)


高度な集中状態の瞑想が成就できれば、心の眼が開けて、
(はかりしれない喜びよ)


さまざまな仏の境地の世界を得て、凡夫の境地の世界を超越します、
(浄土への往生を願います)


釈迦如来の御恩を知って、ただ自らを慚愧し御恩を讃歎すべきです、
(はかりしれない喜びよ)


十方のあらゆる方角の如来たちは、舌を出して証明して、
(浄土への往生を願います)


上品上生から下品下生までの九段階(九品)の人は、全て浄土に還ることができると保証します、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来はわが子である往生してきた人を迎えて大いなる集まりの中に入れてくださり、
(浄土への往生を願います)


六道輪廻のつらく苦しかった体験について尋ねます、
(はかりしれない喜びよ)


「場合によっては、人間や天界に生まれるという果報はあっても、
(浄土への往生を願います)


飢えや苦しみがあったり、身体に腫物ができたりします」と答えると、
(はかりしれない喜びよ)


その時、阿弥陀如来や浄土の方々は、
(浄土への往生を願います)


わが子であるその人の苦しみの体験の話を聴いて、皆深く歎きます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来はさまざまな仏の子に告げます、
(浄土への往生を願います)


「それは自業自得、自分で原因をつくり自分が受けた結果なのです、怨んではいけません」と、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


永久(とわ)の住まいである宝石でできた浄土の国には、もはや憂いや心配はありません、
(はかりしれない喜びよ)


涅槃の楽しみと喜びの満ちた場所には、
(浄土への往生を願います)


三界のように貪りや瞋恚に焼かれる苦しみを聞くこともありません、
(はかりしれない喜びよ)


百もの宝石でできた蓮華の台(うてな)には心のままに坐ることができて、
(浄土への往生を願います)


坐る場所にはいつも、数えきれないほど多くの浄土の聖なる方々がいらっしゃいます、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の子どもたちは供養し、阿羅漢たちは讃嘆します、
(浄土への往生を願います)


鳥は楽しそうに空を飛び百千遍も飛びめぐっています、
(はかりしれない喜びよ)


一たび坐って瞑想したり、あるいは一たび立つ、そのほんの短い間に、
(浄土への往生を願います)


無始以来の過去からの数えきれない悪業は、細かなところまですべて消され除かれていきます、
(はかりしれない喜びよ)


ある者たちは、天の衣で宝の池を覆い

(浄土への往生を願います)

衣の上に、さらに宝石でできた花々やお香を散じます、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の聖なる人々は、その衣の上を歩いていく時に、
(浄土への往生を願います)


衣や花々に触れると、第三禅定に達した喜びを感じます、
(はかりしれない喜びよ)


宝の池は、内側も外側も透き通って照り映えて、明るい鏡のようです、
(浄土への往生を願います)


煩悩はついに起こることはありません、
(はかりしれない喜びよ)


どの瞬間の思いも清らかな高度な集中状態の瞑想が加えられ、
(浄土への往生を願います)


煩悩のない清らかな神通力を得て、真実に、さらなる真実に達していきます、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


煩悩はもはや断ち切られてお互いに起こすことはなく、
(はかりしれない喜びよ)


宝石でできた大地には瑠璃が混ざった部分があり、
(浄土への往生を願います)


あるいは、宝石でできた大地には純粋な砂金からできた部分があり、
(はかりしれない喜びよ)


あるいは、宝石でできた大地には黄金でできた部分があり、
(浄土への往生を願います)


あるいは、宝石でできた大地には水晶でできて他を映している部分があり、
(はかりしれない喜びよ)


あるいは、千もの宝石によって荘厳されている地面があり、
(浄土への往生を願います)


あるいは、数々の宝石によってできているところもあります、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつひとつの色はお互いの光で照らしあっており、
(浄土への往生を願います)


十方のあらゆる方角から来た人は、みなこの地面の上を行きます、
(はかりしれない喜びよ)


行くもとどまるも、進むも立ち止まるも、自由に過ごす喜びがあります、
(浄土への往生を願います)


公の事柄にも心配がないし、自分個人の事柄にも心配がありません、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は、百回も千回も神通力を発揮して、
(浄土への往生を願います)


さまざまな説法の集まりを供養してあまねくめぐります、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は、お香によって雲をつくり、千の宝石によって天蓋をつくって、
(浄土への往生を願います)


この雲から、お香と花びらを雨のように降らして、
(はかりしれない喜びよ)


思いのままにさまざまな荘厳をなします、
(浄土への往生を願います)


あらゆるところにはきわめて稀な珍しい光景が現れます、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


このいのちが終わった時には、ただちに涅槃のこの集まりに入りなさい、
(はかりしれない喜びよ)


宝石でできた樹木や林が並んでいて、あまねく満ち渡っていて、
(浄土への往生を願います)


一本一本の林の樹々は、すべてすばらしい荘厳をされています、
(はかりしれない喜びよ)


根と根はお互いに向かい合い、茎と茎はお互いに望みあい、
(浄土への往生を願います)


枝と枝とはお互いに並んで、細い枝と細い枝はお互いに従い合い、
(はかりしれない喜びよ)


節と節とはお互いに支え合い、葉と葉とはお互いに譲り合い、
(浄土への往生を願います)


花と花とはお互いに向かい合い、実と実とはお互いに適切に触れ合っています、
(はかりしれない喜びよ)


光と光は自らや他の国を明るく照らし、
(浄土への往生を願います)


光はそれぞれの物の色に合わせ、照らされている場所は透き通って美しく輝いています、
(はかりしれない喜びよ)


光が本当に稀な珍しい光景を現しています、
(浄土への往生を願います)


これらはみな全て、阿弥陀如来の御本願の働きによってなされています、
(はかりしれない喜びよ)


林に立ち並ぶ樹木の合間に、宝石でできた階段の道があります、
(浄土への往生を願います)


ひとひとつのその階段の上には、楼閣があって、お互いにつながっています、
(はかりしれない喜びよ)


幾重にも重なる宝石でできた網が、天の音楽を奏でており、
(浄土への往生を願います)


その楼閣の中にいる人々をどこまでも供養しています、
(はかりしれない喜びよ)