2011-12-28から1日間の記事一覧

雲井龍雄 「透谷寓居即事」

雲井龍雄は集議院を去った後、いまの有楽町のあたりにあった、透谷(すきや)の「稲屋」という水亭を好んで、よくそこで過ごしていたという。 その時の詩だが、良い詩だと思う。 雲井龍雄 「透谷寓居即事」 其の一 撲面紅塵豈浼予 面を撲(う)つの紅塵 豈(…

雲井龍雄の「俚謡」と「俗謡」

雲井龍雄の「俚謡」と「俗謡」をタイピングしてみた。 これは、折々に雲井がつくった、おそらくは当時の三味線などにあわせて歌ったもので、漢詩と比べてかなりくだけた感じがする。 これらを見ていると、意外とくだけた、しゃれた面もあった人だったのかも…

雲井龍雄 「源頼政論」(源三位与兵論)

雲井龍雄の「源頼政論」(源三位与兵論)をタイピングしてみた。 これは、おそらく、非常に早い時期に、たぶん雲井が十代の頃に書いた文章ではないかと思われる。 しかし、のちの雲井の生き方をそのまんま予見するようなテーマであり、内容でもある。 源頼政…

雲井龍雄追悼の詩 山吉盛義 「祭文」

今日は雲井龍雄の命日なので、山吉盛義という人が書いた、雲井龍雄の追悼の詩「祭文」をタイピングしてみた。 この山吉という人は、米沢藩出身の人なので、雲井とは同郷のよしみがあったのだろう。 どういう人なのか、情報がないのでよくわからないが、ネッ…

雲井龍雄 「述懐示佐藤某」(述懐 佐藤某に示す)

雲井龍雄の「述懐示佐藤某」(述懐 佐藤某に示す)をタイピングしてみた。訳しながら、まるで今の日本に対して言われているような言葉だという気がした。「和の一字」、日本国民はよくよくあらためて胸に刻むべきことなのかもしれない。 雲井龍雄 「述懐示佐…