現代語私訳『福翁百話』 第五十二章 「独立は自分の心の中にあります」

現代語私訳『福翁百話』 第五十二章 「独立は自分の心の中にあります」




独立とは、まず他人の世話になることから離れ、すべてのあらゆることを自分自身で引き受けて自分の力で生活し、親子の関係であってもお互いの責任の境界線を明確にすることです。
そして、その後に、自分が思うことを言い、自分が思うことを行うという意味です。


この独立の基礎がすでにできあがったあとは、少しも自分の本心に恥じるようなことは一切行わず、他の人に節を曲げて屈するようなことはすべきではありません。
重要な出来事に際して自分の筋を曲げないことはもちろん、ひとつひとつのささいな言葉や行動に至るまで、自分が後で後悔するようなことを適当にしてしまうようなことは独立の主旨に反することです。
ですので、他の人に対して気兼ねなど無用です。
世の中の空気や人情ではどうだとか、一時の方便のためにはやむをえないとか言って、右にすべきことを左にしたり、東にすべきことを西にするようなことは、独立の本当の姿に反することで、立派な人物が恥じるべきことです。


このように言えば、人間が生きていく道はとても窮屈で、色も艶(つや)もなく、到底世の中の人と打ち解けて交際していくことはできないだろうと思うかもしれませんが、実際はそうではありません。


そもそも、今述べている独立ということは、外面だけ装って自分の身の飾りとして使うものではありません。
ただ、深く自分の心の底にしっかりと抱いて、自分自身が守る主義主張というだけのことです。
ですので、本当の独立の人の心の寛大さは、大きな海があらゆるものを包容するのと同じで、他人に対して多くは求めず、「人は人、自分は自分」と思い、他の人が直接的に自分の独立を妨害したり妨害しようとするのでなければ、おおらかに他の人々と交際することはとても簡単なことです。


この主旨を表現するならば、人と交際する方法については古代中国であらゆる官職をいとわずに努めた魯の国の賢者・柳下恵に倣い、自分の節義を守る心は古代中国の清廉潔白な生き方を貫いた伯夷と叔斉に倣うと言うことができます。


自分の一身の独立は生命よりも重要なものです。
この独立を妨げようとする者がいれば、この世の中のすべての人をも敵にすべきです。
親友であっても絶交すべきです。
一族親戚の間の愛情さえも去るべきです。
独立を守るためであれば、それらのことさえ断じてためらうべきではありません。


しかし、実際にはおいては、そこまで激しい場合はめったにないものです。
たとえば、昔の封建社会の時代の武士が二本の刀を腰に差していたのは、世の中の人々を敵に回しても、自分に対して無礼を働く者は容赦なく斬り捨てるとの覚悟を示したものでした。
しかし、もしも道徳を大事にして武士道を守っているならば、刀の柄に手を掛ける必要はそもそもないものでした。
独立が大事だからといって実際にそこまで激しい事にはめったにならないことは、何十万人という武士が何百年もの月日を無事に過ごしてきたことと同じようなものです。


昔の封建社会の時代においても、世の中には卑劣な人も多かったですし、臆病な者も多かったものでしたが、それらの人々が武士に対して無礼を働かない間は、べつにそれらの人々をとがめず許容して、お互いに行き来して自由な交流を特に妨げることなく、ただ本当の武士は自分自身を武士として自負して、自分だけは自発的に武士道を守っていただけのことです。
ですので、今の独立して生きる人々も、その独立の方法を昔の時代の武士のように持っていれば、大きな誤りなく過ごせることでしょう。