現代語私訳『福翁百余話』第三章 「独立は財産だけに依拠すべきではありません」

現代語私訳『福翁百余話』第三章 「独立は財産だけに依拠すべきではありません」


自分の身の独立を成し遂げようとするには、自分の力で働いて、仮にも他人を頼ったり依存したりすべきではありません。
これがつまり、資産を大事にする理由であり、今さらたくさん言葉を費やして説明する必要はないことです。


しかし、単に資産や財産だけを重視して、智恵や道徳がそれに伴うことがないようになってしまっては、せっかくの財産も役に立たず、気の毒な状態に陥ります。
そのような悲惨な状態における実際の苦痛は、貧しい人の貧しさによる苦しみよりも百倍も大きい場合すらあります。


たとえば、最も愛する父母や妻子が病気に倒れた時、医者を選択する方法を知らずに凡庸な医者の手に任せてしまい、病状がだんだんと進行するのを見て、その一家の主人はどのような感情を抱くでしょうか。
お金で病気が治るのならば、どんな大金でも惜しまず、何とか手段はないだろうかと一人で心配している時に、隣の家の人がやって来て、どこそこの薬屋に良い薬があると言えば、その人に頼んでその薬を買い、この病気は金神の鬼門にあたる井戸の祟りだなどと言う人がいれば、その人の言うままに家を壊して井戸を埋めて、星占いで吉や凶を占ってもらいそれを聴いて医者を取り替え、日柄の良し悪しを占ってから家を移し、腐った水や単なる紙ごみを神の水だとか御札だとか言われて授けられれば有難がって手を合わせ、それを重い病気の人に飲ませるようなことは、世の中によくあることです。


そのような時において、一家の主人に何のしっかりとした意見もなく、ただ他人が言うがままにするのは、大切なはずの病人をもてあそぶことになります。
まさに、無知であるために迷い、迷っているためにもてあそぶことになっているのです。
もてあそばれたために、本当は治るはずの人も亡くなってしまいます。
そうした家の主人は、家に巨万の財産を積んでいても、無知であるために重要な出来事において、心の独立が達成されていないために、無駄に苦しんでいる人と言えます。


また、家族が仲良く一家だんらんで、父母の品行が正しく、言葉も振る舞いも優しくて、言わず語らずのうちにその雰囲気で道徳的に子どもたちを感化するということは、道徳教育にとってそれ以外にはない方法です。
しかし、昔から、世の中には悪い子どもがいます。
生まれつきそうである場合もあれば、悪い友人にそそのかされる場合もあるでしょうし、一概に父母にのみその責任を帰することはできません。
しかし、世の中において、有能で力のある立派な人々は、なにかと家の外のことに忙しくて、家庭を顧みる暇がなく、特に最近の都会においては、西洋風の人付き合いとして、女性も男性もともに外での社交に忙しい場合があります。
女性の外出はもちろん咎めるべきことではありません。
だんだんと女性の社交や外出が進むことこそ本当の文明であり、女性の権利の発達も期待されることです。
しかし、物事に間違いが多いのがこの世の中であり、西洋風ということについて初心者とも言うべきこうした類の社交に活発な男女が、人付き合いや交際といえば家の外のものばかりに心を砕いて、かえって楽しきわが家の中におけるこたつや暖炉を囲んだ一家だんらんのこの上ない喜びを忘れて、親子の間がいつの間にか疎遠になり、お互いに何をしているのかを知らず、考えていることもわからず、昔の人の言葉で言えば「父親なのに父親らしくなく、子どもなのに子どもらしくない」(父、父たらず、子、子たらず)という状態になる場合があります。
そんなことでは、しまいにはその子どもはどのような人間になっていくことでしょうか。
簡単に推測できることです。


幸運に一人前の男性や女性となれば、予想外の幸福ではありますが、気の毒なのは世の中によくある不良の少年少女です。
そうした不良の少年少女は、愚かな場合はとんでもない事件に巻き込まれ、賢い場合はとんでもない事件を作り出して、結局のところ両親の心痛の種にならない者はいません。
その子どもを、不肖だからとか、悪いからとか、親不孝だということで親子の縁を切ったり勘当しても、子どもはやっぱり子どもであり、親である者の責任を逃れることはできません。
最もひどい場合を言えば、子どもの行動がどんどんますます悪い方向にのみエスカレートしていって、しまいには法律に触れて逮捕されることもあるという場合には、両親の心中はいかばかりでしょうか。


その子どもの誤りを正し、普通の人間の体裁を保たせるための方法があるならば、この命以外のいかなるものも全然惜しむ必要はなく、お金や家土地財産などなんでもないことで、隣の貧しい家のおじさんおばさんが細い煙を台所から立てて子どもと一緒に粗衣粗食で仲良く暮していることこそが羨ましくなることでしょう。
この段階に至っては、その親である人が、世間的な名誉を求める心も財産を欲しがる心も根底から断たれて、どんなに名誉があっても、どんなに巨万の富があっても、あってもないのと同じで、自分で自分の今までの人生を振り返って、長年苦労して無駄に財産や地位を求めた愚かさを後悔するということにまでなります。
ですので、人間の世の中における独立ということは、資産はもちろん必要であり不可欠ではあるのですが、ただ肉体的な独立ではなく、心の独立を成し遂げようとするためには、お金以外にとても大事にすべきことがあるのを自覚して、一生涯注意を怠らないようにすべきです。