現代語私訳『福翁百話』 第五十三章 「熱い心は胸の奥深くに秘めるべきです」

現代語私訳『福翁百話』 第五十三章 「熱い心は胸の奥深くに秘めるべきです」




最近、機械の力を利用する工夫が次々に進歩し、水力、風力、蒸気の力がようやく過ぎ去って、まさに電力の時代に移ろうとしているといったようなことは、本当にただ驚くほかないことです。


しかし、さらに空想を自由にして望みを言うならば、そもそも、今までの世界において最も値段が安価で膨張するエネルギーの力が大きいものは、火薬もしくはダイナマイトの右に出るものはなかったことでしょう。
今、もしこの類の膨張のエネルギーを機械に応用して、エネルギーの源とする手段にしたならば、その経済効率はどれほどのものでしょうか。


わずか数百円(原文は数銭)の火薬ダイナマイトによって、巨大な船や車を動かすことができることでしょう。
分量が重くて大きな石炭を燃やして蒸気をつくることとは、とても比較にならないほどエネルギー効率が良いことでしょう。


しかし、ただどうしようもないことは、火薬ダイナマイトでは機械装置でそのエネルギーを捕捉して制御する方法が今のところ見つかっておらず、残念なことにせっかく安い値段で調達できる膨張エネルギーを空費して人間のために役立てることができないわけです。
その心残りなことは、虎を飼い馴らして乗る方法を見つけることができず無駄に野に放っていることと同じです。


(私が子どもだった頃、遊びで吹き矢を使って遊んでいたら、ある人が教えてくれた話があります。
その人によれば、九州の筑後(福岡県の南部)のあたりでは、吹き矢を吹く時に人の口を使わず、筒の根元の部分に一粒の火薬を入れて、狙いを定めて線香の火をつけて、その勢いで矢を吹き出す方法があるとのことでした。
子ども心にも面白いことだと思いましたが、もちろん自分で試してみたわけではありません。
その後、西洋の書物を読み、理工系の学問を教えたりしながら、蒸気について知るようになってからも、子どもの時に聞いた吹き矢の話を忘れたことはなく、なんとか火薬やその他の爆発する薬品の力をコントロールしてエネルギーに利用することはできないかととりとめもなく空想し、この三十年間、いろんな人にもそのつど話してきたものです。
近年、ヨーロッパでは石油を使った機械を工夫し、石油に火をつけてガスをつくり、その膨張するエネルギーを捕捉して機械装置を動かす方法を発見し、現にわが国にもこの新しい機械装置を使用している人が多くいます。
ですので、火薬ダイナマイトなどをエネルギーとして使用する空想も決して無駄なことではなく、いつの日か場合によっては現実になる時もあることでしょう。)


こうした事柄から個人的に考えることがあります。
昔から世の中には、「熱心家」(情熱をもって物事に打ち込む人々、とても熱心な人々)とでも言うべき人々がいます。
こうした人々は、たいてい皆身体も丈夫でエネルギッシュで根気もあり勇気もあり、小さなことにこだわらない度量の大きさがあり、世間の一般的な考え方や様子に無頓着で、ちょっと見ただけだと立派な人物と惚れ込むようなタイプの人であり、こうしたタイプの人を人間の社会の物事の中のある部分にうまく使う時は、その働きは軟弱ながり勉タイプの人々とは比較にならないもので、大きな成果をあげることはきっと間違いなく、実際にそうした大きな成果や業績の事例もあります。


ましてや、今の現代文明というものは裏面において動物レベルの力が全盛を極めており、ただその動物レベルの力の表面を繕うことに優雅な儀礼儀式を持っているだけで、大きなことで言えば国家同士の外交から小さなことで言えば個人が日常生活で社会の中で生きていく仕方に至るまで、力の強い者が勝ち弱い者は敗れ、弱肉強食という事実が剥き出しになっていることを見れば、熱心家の力が大きな成果をあげるであろうことはなおさら言うまでもないことです。


これほど殺風景な人間の社会に生きていくには、単に学問を教えたり哲学や理論を議論することばかりによって、家庭で暮らし社会の中を生き国家を発展させようとすることは、回り遠くて実情にそぐわないこと甚だしいものです。
のん気にぼんやりしている間に、他人が土足で枕を踏みにじっていくことでしょう。


ですので、熱心さがある程度あることは、今の世の中においてはちょうど正当防衛のための材料として大切にすべきことです。


しかしながら、ただ困難なことは、この熱心ということを捉えて、その膨張するエネルギーを利用しようとすると、ともすれば思い通りにはいかないということです。


その家の忠実な家来と自称する人が、主人を思うあまり、軽率に大喧嘩を起して近所を驚かし、ひどい場合は人を傷つけてかえって自分の仕える家の体面や名誉を損なったりすることがあります。
このことを大きなことで言えば、いわゆる天皇に忠誠を尽くし国を愛するという志士気質の人たちが、強くて勇ましいことや正義を守る心が強く激しいことにおいて、一つの主義主張に熱心になり過ぎて周囲を顧みず、その熱心の度合いがますます高まるにつれ、膨張するエネルギーもますますひどくなり、ついにコントロールできない状態に至るようなことは、政治の世界の歴史において珍しくないことです。


昔の時代の英雄やすぐれた度胸ある人物は、このような志士の熱心さを利用して巧みにコントロールした事例もないわけではありません。
これはそのまま、火薬ダイナマイトを機械装置に応用し、馬の代わりに虎を乗りこなすようなものです。
しかし、そのような事例は、結局動乱の世の中における珍しい事例であり、平和で無事な時代においては試すべき事柄ではありません。


そうでないだけでなく、文明や学問の進歩によって、英雄のエネルギーや活躍する場は徐々に減ってきており、人の意表をつくような英雄の振る舞いも徐々に難しくなってきていることが時代の趨勢として定められています。
ですので、志士の熱心さは必ずしも全面的に間違っているというわけではありませんが、文明や学問とともに徐々にその様子を変えて、本来持っている熱さは大切に保存しながら、その熱さを深く心の底に収めて、外見においては優雅な振る舞いを装い、他人が容易にその心の中の熱さをひそかに探り調べることができないように、ちょうど宝物として大切にしている刀を美しい絹織物の袋に入れて大事にして思いもかけない事態に備えるように、すべきです。
それこそが、今の時代における人生の生き方や国家の発展のさせ方の極意であることでしょう。