通俗和讃 因果の鏡

仏教新聞社というところが明治二十七年に出したものらしい。
少し違うバージョンが他の明治年間に出版されているようだが、とりあえずこれをタイピングしてみた。
わかりやすく仏教の因果の道理を七五調にまとめた面白いものだと思う。



通俗和讃 『因果の鏡』



およそこの世へ生れては  貴賤貧福おしなべて
無病・長生き・銭金を   誰しも願うことなれど
病身・夭死(わかじに)・貧乏を  いやでもするのはなにゆえぞ
前世でわが身が蒔きおきし  種がこの世へはえるなり
誰しもわが身を省みよ   今のわが身の苦と楽は
前世に蒔きし種なるぞ   今なす業の善悪は
後世の苦楽の種となる   悪種蒔かぬ用心は
偽りいわぬにしくはなし  もしも人目をかざるとて
口と心がちかいなば    早く心をあらためよ
悪事をかくしてよいように  一目をかざりてすますとも
神と仏と心とに      問わればいかが答うべき
この神国に生れては    わけて正直第一に
かげとひなたのなきように   物事律儀ひかえめに
ただ何事も正直の     頭(こうべ)に神はやどるとや
さあらばあえて祈らずも  神仏守り給うらん
神や仏に守られて   無病・長生き・安穏に
子孫繁盛福徳の    種蒔くように心せよ
因果の道理を信ずれば   わが身の上も人の身も
鏡にうつしみるように   過去も未来もみゆるとぞ
この世で銭金持つ人は   前世の種のはえしなり
前世で善き種まかざれば  この世で貧苦にせまるなり
この世で施しせぬ人は   来世で貧苦にせまるなり
三世因果は目の前ぞ    去年豊年の潤いで
今年はゆたかに暮らせども  今年耕作怠らば
来年飢えにおよぶべし   遅き速きはあるとても
善悪因果うごきなく    毛筋も違わず報うなり
利口で富貴がなるならば  鈍なる人はみな貧か
鈍なる人にも富貴あり   利口な人も貧をする
貧乏で子どもが多くあり  富貴で子どものなきもあり
いずれも前世の種次第   がまんや力や銭金
権威ずくにはなりがたし  富貴に大小あるとは
なさけに大小あるゆえぞ  また貧賤の大小も
非道に大小あるによる  善悪二つにまく種は
貧福二つにはえ別る   およそ因果の理を知るに
小因大果ということを  よくよく心得たまうべし
たとえば一粒まく種に  実を数おおくむすぶにて
少しの罪をもおそれねば  むくう苦患はかぎりなし
なす善根は少しでも   多くの幸い得ることも
なずらへ知りて用心し  わずか蚊の足一本も
折らじと罪をつつしみて  小善とても積みたまえ
悪は根を断ち葉をからし  善の芽ざしに土かいて
栄えんことを願うべし  かかる謂れをわきまえず
大罪ばかりを科と知り  少しの罪は常として
とどむる心なきときは  水のしたたりいつのまに
桶一杯になるごとく   小罪とてもおそれねば
ついに地獄の業となる  少しの善が積りても
無量の果報を得ると知れ  聖人孔子もこのわけを
易という書に説きたまう  後世と子孫を思いなば
慈悲善根の種をまけ   種物惜しんで蒔かずして
穀物とりたる例(ためし)なし  田畑に五穀をまかずして
自然と生えたるためしなし  種物一升蒔きおけば
五升や一斗は実るぞや  しからば少しの施しも
果報は倍々あることぞ  いわんや施し多ければ
福徳円満かぎりなし   その施しをするときに
くれるとばかり思うなよ  借り物返すと思うべし
くれるももらうも因縁ぞ  貧賤富貴のありさまは
みなこれ浮世の習いなり  今貧賤のそのひとは
むかし長者と思うべし   富貴も永くつづかねば
さかんに暮すそのうちに  堂寺宮へ寄付すれば
貧乏になりても名は残る  金銀田畑山林を
いかほど貯えおくとても  衰えぬれば人のもの
神や仏へ奉納の   品のみながく残るぞや
現世の子孫の繁昌と   わが身の後生を思いなば
かなりに暮すそのうちに   なるだけ施しするがよし
欲にかぎりはなきものぞ  あればあるほど足らぬもの
事足るを知れよとの   仏のおしえをわきまえよ
貧であがくは是非もなし  持ってあがくぞあさましや
多くの財(たから)をゆずりても  その子の魂悪しければ
ほどなくのこらず売り払い   親や妻子を歎かする
少しも田畑ゆずらねど   あっぱれ仕出すものもあり
いかにわが子を思うとも   その子のたましい次第なり
銭金多くゆずるより   善根多く積み置けば
神や仏のあずかりて   利に利を加え多くして
子孫へ渡し給うぞや   子孫のためを思いなば
人をたおさず施行せよ   無理してためたる金銭は
人の恨みのかかるゆえ   かえって子孫の仇となる
升(ます)や秤(はかり)算盤や   筆のさきにて無理すれば
天地の真理に照らされて   逃るる道はなかりけり
愧じて恐れて慎めよ   みめはよくても富貴でも
嘘ほど人の瑕(きず)はなし   形(なり)はあしくも無骨でも
正直ほどの宝なし   高き賤しきおしなべて
人はみめよりただ心   正直柔和と言わるるが
上なき手柄と思うべし   わが日本に生まれては
万国無比の国体と    天子の御恩わすれずに
士農工商それぞれの   家業を大事に勤るが
そのまま国恩報謝なり   仏も四恩のそのなかに
天子の御恩を報ぜよと   いと丁寧に説かれたり
世間多くの人々の    その身の仇となるものは
貪瞋愚痴の三毒ぞ   銭金ありて貸す人は
あまり過分な利をとるな   人に非道をする者は
生(いまわ)のうちはすむけれど   死にぎわ苦痛すさまじく
死ぬれば餓鬼や畜生や   修羅や地獄の苦と受けて
屋敷に草木が生えしげる   たとえ草木ははえずとも
非道は子孫のあだなるぞ   親の非道が子にむくう
例(ためし)は世間に数あるぞ   たのしく栄花に暮すのは
前世に蒔いたるよい種と   家業大事に勤むると
先祖の苦労の御蔭なり   親は物事子のためと
幼き時より身にかえて   子のためばかりはかれども
子どもの魂悪しければ   親の心は闇ならで
子ゆえに迷う親たちは   世間に多くみゆるぞや
なれども子どもは愚かにて   大恩ありとは知りながら
知りたる道に迷うては   とかく不幸をするぞかし
博打うったり色ぐるい   または悪所へ通うては
身の分限を忘れはて   放埓尽くすあげくには
政府(おかみ)の咎めを蒙りて   親類組合ところまで
難儀をかけるのみならず   わが身代は散り散りに
田畑家財屋敷まで   他人の物と成りぬれば
親のなげきはいかばかり   不幸というもあまりあり
鳩には三枝の礼があり   烏に反哺の孝あれば
親に不幸な子どもこそ  烏や鳶にも劣るぞや
親を持ちたる人々は   なるだけ身持ちを大切に
親の心を休ませよ   両親達者なうちにはや
無益なことをうちやめて   善根功徳を心がけ
父母の身の上祈るべし   無益なこととは何々ぞ
ばくちや悪所の遊びやら   衣食住にぞ奢るなり
名聞おごりにつかうには  多くの費えをいとわぬを
慈悲善根の一文は   生爪はなす思いなり
子や孫しつける思いして   親の菩提をとむらえよ
出家沙門の行乞や   乞食非人の来るときは
真実心で施せよ   名聞寄進の千両に
まさる広大功徳なり   長者の万灯供養より
貧女の一灯功徳あり   なにほど施しするとても
必ず恩にはきせるなよ  わが身のための施しぞ
恩にきせれば徳うすし   これや人々目をふさぎ
つくづく考えみたまえよ   いかなる大福長者でも
時節来たれば是非もなし   金銀財宝妻子まで
捨てて冥途の旅立ちぞ   めいどのたびだちする時は
耳もきこえず目もみえず   行方も知れぬ死出の山
闇路に迷うあわれなり   この時一生作りにし
罪とが業が報いきて   病苦や死苦に責められて
七転八倒するときに   いかに後悔するとても
さらにかえらぬことぞかし   後生はてんで(※各自)のかせぎにて
助合力のならざれば   とかく命のあるうちに
菩提の種をまきたまえ   人の命のもろきこと
草葉の露にことならず   今宵頭痛がしはじめて
すぐに死病となるもあり   朝に喧嘩をせし人が
暮れに頓死をするもあり   今日は他人の葬礼し
明日はわが身の葬礼ぞ  財宝妻子わが身まで
みなこれ無常のものなれば   頼みすくなき娑婆界と
心によくよく合点して   無理な貪欲渇くなよ
無常無常とみな人が   口にかしこくいいながら
心にたしかに知らぬゆえ   にわかに無常にさそわれて
かわいい孫子におくれたり  いとしい妻子にわかれては
世にないことのあるように  ともに消えたき思いにて
やるかたもなきかなしさに   尼法師にもなるべしと
かなしみ思うも過ぎぬれば   いつしかそれをもわすれはて
ほどなく元の木阿弥と   なるのみならず更になお
放埓邪見おこすなり   人の心は春駒の
手綱ゆるさず引き締めよ   福者はもちろん今日を
かなりに暮す人々も   分相応におよぶだけ
貧者に施しなさけせよ   慈悲善根はそのままに
わが身や子孫の祈祷なり   さあらば神の方便と
仏の慈悲に守られて   悪鬼魔縁も近づかず
自然とさわりはなかるべし  かしらだちたる人々は
わけてところの後家やもめ   難儀の病者や貧人を
なるだけあわれみすくうこそ  ゆたかに暮らす甲斐ぞかし
情けは人のためならず   すなわち孫子のためと知れ
世間に乞食する人も   願い好んでしはせぬぞ
人の食いわけ捨つる物   貰うて命つぐ人は
前世で邪見と慳貪と   非道の種を蒔きおきし
その種この世へはえてきて  是非なく門戸に立ち迷う
暑さ寒さにくるしみて  生まれしかたちは人なれど
さながら餓鬼のありさまぞ  そのありさまを見るならば
しみじみ不憫と思うべし   宿世の因縁きく時は
世界に他人というはなし   前世のわれらが父母か
または兄弟親類に   いずれ因縁あればこそ
たよって来たると思うべし   この心得で手のうちの
施しとてもするならば   施す品は少しでも
わが身の果報は莫大ぞ   とても施しするならば
果報を多く積むように   真実心に施せよ
親やわが身の後世菩提  子孫繁昌ねがいなば
善根功徳のよい種を   沢山まきおくようにせよ
大小上下の人々の   分に応じて仁心が
なければ人は人でなし  この世は堪忍世界とて
とかく心のままならず  ことさら老少不定にて
明日の請け合いならざれば  永い未来の浮き沈み
なにをおいても用意せよ   冬の綿入れ夏のひとえ
三度の食の用意をば  忘れずととのえおきながら
一大事なる臨終の  用意忘るる愚かさよ
来世といえばみな人が   はるけき事と思えども
吹く息一つかえらねば  その場がすぐに未来ぞや
常々因果の理を知りて  何時命がおわるとも
心やすやすそのままに   業にひかれてゆくときは
きっと善処に生まるべし   少しもうたがう事はなし
これを疑うそのひとは  邪見の雲の晴れやらで
未来後生の末までも   仏や菩薩の御教えに
救わる時はなかるべし


(因果の鏡  終) 





浄土真宗バージョン 因果の鏡 (おそらく原型)

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20120422/1335071500