華厳経メモ その4


【離世間品】


「十種の奇特な想い」
一、 一切の善根において自分の善根のおもいを生ずる。
二、 一切の善根において菩提の種子のおもいを生ずる。
三、 一切衆生において菩提の器のおもいを生ずる。
四、 一切の願において自分の願のおもいを生ずる。
五、 一切の法において生死を出づるおもいを生ずる。
六、 一切の行において自分の行のおもいを生ずる。
七、 一切の法において仏法のおもいを生ずる。
八、 一切の言葉において法のことばのおもいを生ずる。
九、 一切の仏において慈父のおもいを生ずる。
十、 一切の如来において無二のおもいを生ずる。
(324頁)


「十種の勤修精進」

一、 一切衆生を教化する勤修精進である。
二、 一切の法に入る勤修精進である。
三、 一切の世界をして清浄ならしむる勤修精進である。
四、 一切の菩薩の学ぶところを究竟する勤修精進である。
五、 一切の衆生をして一切の悪を滅せしむる勤修精進である。
六、 一切の地獄・餓鬼・畜生・閻羅王処の苦をのぞき去る勤修精進である。
七、 一切の魔をくだす勤修精進である。
八、 一切衆生のために清浄の眼となる勤修精進である。
九、 一切の諸仏を尊重し供養する勤修精進である。
十、 一切の如来をして皆ことごとく歓喜せしむる勤修精進である。
(326頁)


「十種の正しい希望」
一、 自ら菩提心に住するとともに、衆生をして等しく菩提心に住せしむる正しい希望である。
二、 みずから争いを離れるとともに、衆生をして等しく争いを離れしむる正しい希望である。
三、 みずから愚痴をはなれて仏法に安住するとともに、衆生をして等しく愚痴を離れて仏法に安住せしむる正しい希望である。
四、 みずから善根を修めてもっぱら正法を求むるとともに、衆生をして等しく善根を修めてもっぱら正法を求めしむる正しい希望である。
五、 みずから諸の波羅蜜を究竟して彼岸に到ることを得るとともに、衆生をして等しく諸の波羅蜜を究竟して彼岸に到ることを得しむる正しい希望である。
六、 みずから如来の種姓の家に生まるるとともに、衆生をして等しく如来の種姓の家に生まれしむる正しい希望である。
七、 みずから深く入って一切法の無尽性を観ずるとともに、衆生をして等しく深く入って一切法の無尽性を観ぜしむる正しい希望である。
八、 みずから一切の仏法を誹謗せぬとともに、衆生をして等しく一切の仏法を誹謗せしめぬ正しい希望である。
九、 みずから一切智願を満足するとともに、衆生をして等しく一切智願を満足せしむる正しい希望である。
十、 みずから深く一切如来の無尽の智蔵に入るとともに、衆生をして等しく深く一切如来の無尽の智蔵に入らしむる正しい希望である。
(327頁)


(十種の三世の説き方)
一、 過去世に過去世を説き、
二、 過去世に未来世を説き、
三、 過去世に現在世を説き、
四、 未来世に過去世を説き、
五、 未来世に現在世を説き、
六、 未来世に無尽を説き、
七、 現在世に未来世を説き、
八、 現在世に過去世を説き、
九、 現在世に平等を説き、
十、 現在世に三世即一念を説く。
(332頁)


「三世間に入る十種の方法」
一、 もろもろの安立に入り、
二、 もろもろの語言に入り、
三、 もろもろの談義に入り、
四、 もろもろの軌則に入り、
五、 もろもろの名称に入り、
六、 もろもろの制令に入り、
七、 その仮名に入り、
八、 その無尽に入り、
九、 その寂滅に入り、
十、 一切の空なるに入る。
(331頁)


「十種の仏」
一、 正覚仏
二、 願仏
三、 業報仏
四、 住持仏
五、 化仏
六、 法界仏
七、 心仏
八、 三昧仏
九、 性仏
十、 如意仏
(335頁)


「十種の普賢の心」
一、 大慈心をおこす。この心ゆえに一切衆生を救護する。
二、 大悲心をおこす。この心ゆえに一切衆生に代わってあらゆる苦毒を受ける。
三、 一切の施しを首とする心をおこす。この心ゆえに一切もろもろの所有をことごとく捨てる。
四、 一切智を正念するを首とする心をおこす。この心ゆえに一切の仏法をねがい求める。
五、 功徳荘厳の心をおこす。この心ゆえにあらゆる菩薩の行ずる所を学ぶ。
六、 金剛心をおこす。この心ゆえにあらゆる受生を忘失しない。
七、 大海心をおこす。この心ゆえにあらゆる白浄の法がことごく流入する。
八、 須弥山心をおこす。この心ゆえにあらゆる誹謗と悪言をことごとく堪受する。
九、 安穏心をおこす。この心ゆえに一切衆生に無畏をほどこす。
十、 智慧波羅蜜を究竟して彼岸に到る心をおこす。この心ゆえに巧みに一切法の無所有なることを認識する。
(336頁)


「十種の普賢の行法」
一、 未来の劫を尽して菩薩の行を行ぜんと願ずる普賢の行法である。
二、 未来のあらゆる仏を恭敬し供養せんと願ずる普賢の行法である。
三、 一切衆生普賢菩薩の願行に安立せしめんと願ずる普賢の行法である。
四、 あらゆる善根を積集せんと願ずる普賢の行法である。
五、 一切の波羅蜜に入らんと願ずる普賢の行法である。
六、 あらゆる菩薩の願行を満足せんとする普賢の行法である。
七、 あらゆる世界を荘厳せんと願ずる普賢の行法である。
八、 一切の仏のみもとに往生せんと願ずる普賢の行法である。
九、 善巧の方便をもって一切の法を求めんと願ずる普賢の行法である。
十、 十方のあらゆる仏国において無上菩提を成ぜんと願ずる普賢の行法である。
(326頁)


「十種に衆生を観じて起す大悲」
一、 衆生の帰依する所のないのを観察して大悲をおこす。
二、 衆生の邪道に随逐するのを観察して大悲をおこす。
三、 衆生の貧しくして善根のないのを観察して大悲をおこす。
四、 衆生の永えに生死の夢から覚めないのを観察して大悲をおこす。
五、 衆生の不善の法を行ずるのを観察して大悲をおこす。
六、 衆生の欲縛に縛せられるのを観察して大悲をおこす。
七、 衆生の生死の海の没在するのを観察して大悲をおこす。
八、 衆生の永えに病めるのを観察して大悲をおこす。
九、 衆生の善法を欲しないのを観察して大悲をおこす。
十、 衆生の諸仏の法を失うを観察して大悲をおこす。
(338頁)


「十種の菩提心を起す因縁」
一、 一切衆生を教化し成就せんがためのゆえに菩提心をおこす。
二、 一切衆生の苦聚を除滅せんがためのゆえに菩提心をおこす。
三、 一切衆生に具足せる安楽を与えんがためのゆえに菩提心をおこす。
四、 一切衆生の愚闇を断除せんがためのゆえに菩提心をおこす。
五、 一切衆生に仏智を与えんがためのゆえに菩提心をおこす。
六、 一切衆生を恭敬し供養せんがためのゆえに菩提心をおこす。
七、 如来の教えに随順して仏を歓喜せしめんがためのゆえに菩提心をおこす。
八、 仏の色身の相好を拝みたてまつらんがためのゆえに菩提心をおこす。
九、 仏の広大なる智慧に入らんがためのゆえに菩提心をおこす。
十、 仏の力と無所畏とを顕現せんがためのゆえに菩提心をおこす。
(338頁)


「善知識に対して起こす十種の心」
一、 善知識に給侍せんとする心である。
二、 善知識の意に違逆せざらんとする心である。
三、 善知識の意に随順せんとする心である。
四、 善知識を歓喜せしめんとする心である。
五、 善知識において利を求めざる心である。
六、 善知識において余念を混えぬ一向の心である。
七、 善知識と善根を同じくせんとする心である。
八、 善知識と願を同じうせんとする心である。
九、 善知識を見ること如来を見るが如くせんとする心である。
十、 善知識と円満の行を等しくせんとする心である。
(338頁)


「十種の随順覚知」
一、 あらゆる世界を随順して覚知する。
二、 一切衆生の不思議なることを随順して覚知する。
三、 一切諸法の不一・不異ことを随順して覚知する。
四、 あらゆる法界を随順して覚知する。
五、 あらゆる虚空界を随順して覚知する。
六、 あらゆる世界の過去世に入ることを随順して覚知する。
七、 あらゆる世界の未来世に入ることを随順して覚知する。
八、 あらゆる世界の現在世に入ることを随順して覚知する。
九、 あらゆる如来の一念のうちに願・行を具足したまうことを随順して覚知する。
十、 三世の諸仏のことごとく同一行なることを随順して覚知する。
(341頁)


「菩薩大士の十種の力」
一、 深く一切法に入る力。
二、 一切法はあだかも化のようなものであると解る力。
三、 一切法はさながら幻のようなものであると解る力。
四、 一切法は総てこれ仏法であると解る力。
五、 一切法において染著しない力。
六、 専ら善妙の法を求める力。
七、 一向にあらゆる善知識を恭敬し供養する力。
八、 一切の善根をしてことごとく究極の無上智に趣向せしむる力。
九、 深心に一切の仏法を信解して誹謗しない力。
十、 畢竟して一切智の心を退転しない力。
(342頁)


「十種の無著」
一、 あらゆる世界において著する所がない。
二、 あらゆる衆生において著する所がない。
三、 あらゆる法において著する所がない。
四、 あらゆる所作において著する所がない。
五、 あらゆる善根において著する所がない。
六、 あらゆる生処において著する所がない。
七、 あらゆる願において著する所がない。
八、 あらゆる行において著する所がない。
九、 あらゆる菩薩において著する所がない。
十、 あらゆる仏において著する所がない。
(346頁)


「十種の持力」
一、 仏の持力。
二、 法の持力。
三、 衆生の持力。
四、 業の持力。
五、 願の持力。
六、 行の持力。
七、 境界の持力。
八、 時の持力。
九、 善の持力。
十、 智の持力。
(348頁)


「十種の大いなる希望」
一、「未来の果てまでも出世するあらゆる諸仏に随順し承事して、それらの諸仏をことごとく歓喜せしめまつろう」
二、「かのあらゆる如来・応供・等正覚を無上の供具をもって恭敬し供養しまつろう」
三、「かの諸仏を供養するならば、諸仏はかならず自分に正法を余すことなく誨えたまうべく、自分は正法を承って説のごとく修行して、三世の菩薩のあらゆる諸地に生ずるところの功徳をことごとく具足するだろう」
四、「自分はまさに不可称・不可説の劫に菩薩の行を修めて、つねに仏およびもろもろの菩薩と倶住することができるだろう」
五、「自分はまさに菩提に趣向して一切の畏れ―生活不能の畏れ・悪名の畏れ・死の畏れ・悪道の畏れ―このような畏れを遠離し、止息し、除滅してあらゆる悪魔・外道も自分を阻壊することができないだろう」
六、「自分はまさに一切衆生をして無上菩提を究竟して成就せしめ、仏のさとりに安住せしめて、しかるのちに自分は菩提を成就して、かの仏のみもとにおいて世を終るまで菩薩の行を修め、かのもろもろの如来を恭敬し供養しまつり、如来の滅後は舎利をおさめて無量の塔をおこし、かの諸仏の法を受持し守護するだろう」
七、「自分はまさに十方のあらゆる世界をことごとく無上の荘厳をもって荘厳し、種々奇妙なる平等・清浄を具足せしめ、自在の神力を現して六種に震動せしめるだろう」
八、「自分はまさに一切衆生の疑惑を除き、一切衆生の欲楽を浄め、一切衆生の心意を啓(ひら)き、一切衆生の煩悩を滅し、一切衆生の悪道の門戸を閉じ、一切衆生の善趣の門戸を開き、一切衆生の黒闇を破り、一切衆生に光明を与え、一切衆生をしてもろもろの魔業を離れしめ、一切衆生をして安穏のところに至らしめよう」
九、「諸仏如来は霊瑞華のごとく値遇しがたく、無量劫のあいだに一度びも拝みえない。しかも自分が仏を拝んで正法を聴受しようと思えば、念に応じて見聞し得べく、自分はかの仏のみもとにおいて直心清浄に、もろもろの邪曲をはなれ、偽幻の法を棄てて常に諸仏を拝み、一心に恭敬しまつるだろう」
十、「自分はまさに大法の鼓を撃ち、甘露の法を雨降らして大法施をし、清らかなる無畏の大獅子吼をし、大願を満足し、法界に安住し、無量無数の劫につねに衆生のために正法を講説し、大悲の身・口・意の業に安住して未だかつて疲厭しないだろう」
(349頁)


「十種の楽(ねが)い」
一、 寂静を楽(ねが)う。散乱しないから。
二、 明慧を楽(ねが)う。よく法を分別するから。
三、 あらゆる仏のみもとに往詣せんことを楽(ねが)う。法を聴いて厭くことがないから。
四、 一切の仏を楽(ねが)う。十方に充満するから。
五、 菩薩の自在神力の無量の法門を楽(ねが)う。衆生のためにその身を示現するから。
六、 三昧を楽(ねが)う。一の三昧門において一切の三昧門を出生するから。
七、 陀羅尼門を楽(ねが)う。一切の法を把持し衆生を教化して忘失しないから。
八、 弁才を楽(ねが)う。一文・一句において不可説の劫のあいだを演説して窮尽することがないから。
九、 菩提を楽(ねが)う。無量の法門をもって衆生に等しき身を現じて正覚を成ずるから。
十、 転法輪を楽(ねが)う。法のごとく一切の外道を調伏するから。
(369頁)


「十種の不動心」
一、 一切の所有において皆よくことごとく捨つる不動心である。
二、 一切の仏法を思惟し観察する不動心である。
三、 一切の諸仏を憶念し供養する不動心である。
四、 一切衆生において誓って悩害を加えぬ不動心である。
五、 あまねく衆生を摂取して怨・親の別を設けぬ不動心である。
六、 一切の仏法を求めて休息しない不動心である。
七、 一切衆生の数に等しき不可称・不可説の劫に、菩薩の行を行じて疲厭を生ぜず、また退転することのない不動心である。
八、 有根の信・無濁の信・清浄の信・極清浄の信・離垢の信・明徹の信・一切のほとけを恭敬し供養する信・不退転の信・不可尽の信・不壊の信・大歓喜の信を成就する不動心である。
九、 一切智を出生する方便道を成就する不動心である。
十、 あらゆる菩薩の行法を聞き、信受して謗らない不動心である。
(370頁)


「十種の法の分別」
一、 一切の法はことごとく縁より起ると分別する。
二、 一切の法は皆ことごとく幻のごとしと分別する。
三、 一切の法は皆ことごとく無諍であると分別する。
四、 一切の法は無量・無辺であると分別する。
五、 一切の法は依止するところがないと分別する。
六、 一切の法はことごとく金剛のようであると分別する。
七、 一切の法は皆ことごとく如来であると分別する。
八、 一切の法は皆ことごとく寂静であると分別する。
九、 一切の法は皆ことごとく正道であると分別する。
十、 一切の法は皆ことごとく一相・一義であると分別する。
(373頁)


「菩薩大士は心はこれ三界であり、心はこれ三世であると悟り、その心の無量・無辺なるを了知する。」
(378頁)


「菩薩大士はひとりの衆生のために不可説の劫において菩薩の行を修め、それをして一切智地に安住せしめようとする。ひとりの衆生における如く一切の衆生にもまた同様にして倦厭のこころを生じない。」
(378頁)


「未来の世は無量・無辺であって際限がなく窮め尽くすことができない。自分はまさに未来の果てまで一世界において菩薩の道を修めて衆生を教化しよう。一世界における如く法界・虚空界の全世界においてもまた同様にしよう」
(394頁)


「一切諸法はみな無実であるのを、凡夫は愚迷のゆえに知らず覚らない。自分はよろしく彼らを開悟せしめて、諸法の性を分明に照了せしめよう。一切諸仏は寂滅に安住したまうといえども、大悲心をもってもろもろの世間において説法し教化してかつて休息したまわぬ。自分はいまどうして大悲を捨てられよう。」
(395頁)


「十種の清浄なる業による口業荘厳」
一、 如来の清浄なる音義をよろこび聞いて口業を浄くする。
二、 菩薩の清浄なる音声をよろこび聞いて口業を浄くする。
三、 一切衆生の聞くことを悦ばない言葉をはなれて口業を浄くする。
四、 過去の世に口の四過をはなれて口業を浄くする。
五、 如来歓喜し讃嘆して口業を浄くする。
六、 如来の塔廟において高声に仏の功徳を実のごとく讃めて口業を浄くする。
七、 一向にあまねく衆生に正法を施して口業を浄くする。
八、 音楽・歌頌をもって如来を讃歎して口業を浄くする。
九、 諸仏のみもとにおいて身命を惜しまず正法を聴受して口業を浄くする。
十、 一向にあらゆる菩薩およびもろもろの法師に承事し、供養し、正法を聴受して口業を浄くする。
(430頁)


「十種の発心」
一、 一切衆生を度脱する心を発す。
二、 一切衆生の煩悩を抜出する心を発す。
三、 一切衆生の習気を断除する心を発す。
四、 あらゆる疑惑を断除して純浄無垢の疑惑なき心を発す。
五、 一切衆生の苦悩を除滅する心を発す。
六、 あらゆる悪世間の諸難を除滅する心を発す。
七、 一切諸仏のおしえに随順する心を発す。
八、 あらゆる菩薩の所学を学ぶ心を発す。
九、 一切諸仏の菩提をさとって一切衆生に示現し、凡愚のものの窺い知ることのできない心を発す。
十、 大法鼓を打って音声十方に徹し、あまねく一切衆生の諸根を照らす心を発す。
(434頁)


「十種の楽修」
一、 最勝を楽修する。方便及びもろもろの善根を楽修するから。
二、 荘厳を楽修する。種々もろもろの荘厳を出生するから。
三、 広事を楽修する。心いよいよ広大であるから。
四、 寂滅を楽修する。深く甚深の法性に入るから。
五、 無辺を楽修する。無量の心をおこすから。
六、 善持を楽修する。一切諸仏に護念せられるから。
七、 不壊を楽修する。あらゆる魔業も壊ることができないから。
八、 決定を楽修する。一切諸々の業報を解了するから。
九、 現在を楽修する。意のままに自在の神力・大変化を現ずるから。
十、 聴受を楽修する。一切の仏に受記せられるから。
(438頁)


「十種の心熱」
一、 一切の衆生界に心熱する。究竟して教化するから。
二、 世界に心熱する。究竟して厳浄するから。
三、 如来に心熱する。菩薩の行を修めて供養するから。
四、 善根に心熱する。諸仏の相好の功徳を積集するから。
五、 大悲に心熱する。一切衆生の苦を滅するから。
六、 大慈に心熱する。一切衆生に一切智の楽を与えるから。
七、 波羅蜜に心熱する。菩薩のもろもろの荘厳を積集するから。
八、 善巧の方便に心熱する。あらゆる世間にことごとく示現するから。
九、 菩提に心熱する。無礙の智慧を得るから。
十、 一切の法に心熱する。一切の法に明達し了知するから。
(441頁)


「十種の求道」
一、 直心の求道である。諂曲(へつらい)や虚偽(いつわり)のこころを離れるから。
二、 精進の求道である。懈怠を遠離するから。
三、 一向の求道である。身命を惜しまないから。
四、 一切衆生の煩悩を断ぜんがための求道である。名利や恭敬のためにしないから。
五、 自・他のあらゆる衆生を利益せんがための求道である。自分のみを利しないから。
六、 深く智慧に入らんがための求道である。文字を楽(ねが)わないから。
七、 生・死を出でんがための求道である。世間の楽を貪らないから。
八、 衆生を度せんがための求道である。菩提心をおこすから。
九、 一切衆生のうたがいを断ぜんがための求道である。猶予をなくするから。
十、 仏法を満足せんがための求道である。余乗を楽わないから。
(491頁)


「十種の智業」
一、 因縁を信解して因果を壊らない。
二、 菩提心を捨てないで常に一切の仏を念ずる。
三、 あらゆる善知識に親近し、恭敬し、供養して懈怠しない。
四、 法をねがい、義をもとめ、多く聞いて厭くことなく、もっぱら正念をもって邪念をはなれる。
五、 一切衆生にたいして我慢をはなれ、もろもろの菩薩にたいして如来の想いをおこし、正法を愛重すること己が身を惜しむがようにし、如来を尊奉すること己が命を護るがようにし、修行する者にたいして諸仏のおもいを生ずる。
六、 身・口・意のもろもろの不善の業をはなれ、浄らかな身・口・意の業を修め、もろもろの賢聖を讃歎して菩提に随順する。
七、 縁起に違わないでもろもろの邪見をはなれ、痴暗を除滅して万有を照らす。
八、 十回向にたいして慈母のおもいを起し、もろもろの波羅蜜にたいして慈父のおもいを起し、善巧方便にたいして菩提のおもいを起す。
九、 布施・持戒・多聞にたいし、もっぱら止観・功徳・智慧をもとめて疲厭しない・
十、 もし一業があって、仏に讃嘆せられ、よく衆魔・煩悩・闘争をやぶり、よく一切の障礙・束縛をはなれ、よく一切衆生を教化訓練し、よく智慧に随順して正法を摂取し、よく仏国土を浄め、よく通・明を生起するとせんに、このような業を努めて修習して懈怠しない。
(502頁)


「一切の自由はみな無常であり、すべての快楽は衰謝するであろう」
(506頁)