善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門)  第五十節

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門)  第五十節




また、『木槵経』には以下のような意味のことが説かれています。
「ある時、難陀国に波瑠璃という名前の王がいました。使いの者を派遣して仏のもとに赴かせました。使いの者は、仏のみ足を礼拝して、仏に申し上げました。
「世尊よ、私の国は辺境の小さな国で、頻繁に盗賊の侵入があります。五穀も高騰して疫病が流行し、人民は困窮し苦しんでいます。私はいつも安らかに眠ることができません。如来の教えの蔵は多く、すべて深く広いものです。私は心配な任務があって修行することができません。ただ願わくば世尊よ、慈悲の心で私に要となる教えをください。私が日夜に簡単に修行することができ、未来の世においてさまざまな苦しみを離れることができるようにさせてください。」と。
釈尊は、使いの者におっしゃいました。
「あなたは大王に伝えなさい。もし煩悩の障りや業の報いによる障りを滅したいと思うならば、むくろじの実を百八個貫いて数珠をつくり、常に手に持つべきです。歩く時も、座る時も、寝る時も、常に真心を尽くして心を散乱させず、口に仏・法・僧の名前を称え、ひとつのむくろじの実を繰るべきです。このようにして十、二十、百、千、さらには百千万回しなさい。もしよく二十万回を成就して心身が乱れず、さまざまなごまかしやへつらいがないならば、命が終わった時に第三夜摩天に生れることができ、衣服も食事も自然に得られ、常に安らかで楽しみを得ることができるでしょう。百八の煩悩による縛りの業を除き断ち切ることができ、迷いの輪廻の流れから逆方向に進み、涅槃の道に趣いて、この上ない悟りの結果を得ることができることでしょう。」と。
使者は帰って王に申し上げました。王は大いに喜んで、頭を下げて仏を礼拝し、申し上げました。「尊い教えをいただきました。私は実行します。」と。すぐに官吏や民に命令して、むくろじの実を集めて、千の数珠をつくり、親族たちにみなひとつずつ与えました。
王はつねに数珠を繰りながら念仏して、軍隊を率いて遠征する時にも決して怠りませんでした。また、このように思いました。「世尊の大いなる慈しみはあまねく一切に応えておられます。もし私がこの善業によって長く苦海に沈むことがないようにできるならば、如来は私のために姿を現して説法をしてくださるだろう。」と。王は、この願いに心をこらして、三日の間食べ物を食べませんでした。仏はその身を現わして、さまざまな聖なるお弟子達と宮殿の中に入って来られて、王のために法を説かれました。」と。
また、この経文が証拠となります。ただこれは、王の心が真実だったので、一声一声の念仏ごとに罪障が除かれ、仏も罪業が滅されたのをお知りになって、思いに応えて現れたのでした。理解すべきです。


阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経)一巻


(以上)