現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十七節

現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十七節




また、観無量寿経には以下のような意味のことが説かれています。


阿弥陀如来を想い描く者は、まずは阿弥陀如来の仏像を想い描くべきです。
一体の金色の阿弥陀如来の仏像が、宝石でできた蓮の花の台(うてな)の上に坐っておられるのを想い描いて観想します。
すでに想い描いて観想したならば、心の眼が開き、はっきりと明らかに浄土のあらゆる荘厳が見えるまえでに及んでいきます。」と。
これもまた、阿弥陀如来の三つの力が加わるために阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。
ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。


また、観無量寿経には以下のような意味のことが説かれています。
「次に、観音菩薩勢至菩薩と、さまざまな光明を想い描きなさい。はっきりとそれらを観想します。これらのことが見えた時、念仏者は高度な集中状態において、浄土の水の流れや光明や荘厳などが真理を説法している音や声が聞こえることでしょう。
この高度な集中状態において、またこの高度な集中状態から出た状態でも、その念仏者は常にすばらしい真理を聞きます。」と。
これも、阿弥陀如来の三つの力が加わるために阿弥陀如来の御姿を見ることができるのです。
ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。