第一次大戦の動画を見た後に


その昔、九十年以上前のフィルムに映っている人々。


もうほとんど、例外なく、皆この世を去ったろう。


第一次大戦の、意気揚々と戦場に向かう人、戦場で闘う人、銃後で嘆く人々、戦争後遺症で苦しむ人々。
仮に戦争で生き残っても、戦死した人々と同じく、それらの人々ももうこの世を去っていったろう。


百年も経たないうちに、人はすべて死んでいく。


ただ悲しいのは、鉄条網や機関銃や塹壕の中で、苦しみ、悲しみながら、みじめな死を遂げていったこと。


自由に平和に生きれるだけで、五体満足であるだけで、人を殺さなくて済むだけで、人はどれほど幸せなことだろう。


百年も経たないうちに、人はすべてこの世を去る。


持って行けるものは、ただ生きている間の生き方と、心のありかただけ。


第一次大戦のあと、世界各国の何十万、何百万という人が、戦争の違法化を求める署名運動を行った。
その署名が数え上げられ、うず高く積まれる白黒の動画もあった。


その祈りのひとつの結晶が、パリ不戦条約だった。


なるほど、国際連盟ができたにもかかわらず、パリ不戦条約が調印されたにもかかわらず、そのすぐあとにはそれらは骨抜きとなり、第二次大戦が起こった。
人の歴史は徒労にも思われる。


しかし、大事なことは、何を思い、何を願ったか。
その心であり、そして過去の人々の中の、いかなる心を受け継ぎ、その芽を育てるかではないか。


おびただしい犠牲と悲しみのあとで、私たちはいかなる芽を育ててきたろう。