戦没者の遺骨の追悼について

先日、録画していたTBSの「報道特集」を見た。
戦没者の遺骨についての特集だった。


先の大戦で、海外で死亡した日本人は240万人だが、そのうち112人万人の遺骨は未だに収集されずそのままになっていること、
そのうち30万人分が海中にそのままになっているとのことなどが紹介されていた。


私の大叔父はフィリピンのレイテ島で21歳で戦死しているが、空の白木の箱が返ってきただけで、結局遺骨は未だに一切帰ってきていない。


アメリカでは毎年100億円以上を費やして、戦死者の遺骨を集めDNA鑑定などを進めて可能な限り遺族のもとに届けるように努力しているそうである。


戦後の日本は長い間多くの場合ほとんど放置され、最近になってやっと行政が動き出したようであるが、もはやよくわからない場合も多いようである。


2001年に結ばれた国際条約により、2045年までに遺骨を収拾しないと、もはや日本は海底での調査や収拾は行うことができなくなるそうである。


また、番組では、戦前戦中に朝鮮半島出身者で過酷な労働などで日本で亡くなった人々の遺骨の問題についても触れられており、山口県宇部の長生炭鉱では、海底炭鉱の落盤事故で亡くなった多くの朝鮮人労働者の遺骨が海底にそのままになっていることや、東京にある国平寺というお寺には何百という家族がわからないその時代の朝鮮人の遺骨があり、お寺の住職が少しずつ韓国に渡って納骨しているという様子が伝えられていた。
福岡にも海の中道に海底炭鉱があり、当時多くの朝鮮半島出身の労働者が落盤事故で亡くなったそうだが、その遺骨などはどうなっているのだろうか。


また、番組では、A級戦犯として処刑された七名の遺骨について、米軍の公文書館から最近発見された資料についての特集もあり、当時七名の遺骨処理にあたった米軍少佐の孫にあたる方へのインタビューなどもあった。


鬼哭啾啾と言えばいいのか、国や民族は関係なく、どの骨も、平和に生きたかったことを告げたがっているように思えた。
日本の兵隊の場合は赤紙で、朝鮮人労働者の場合は徴用の青紙で、それぞれ紙一枚で事実上強制的に遠いところへ連れられて行って、無残な死を遂げた人々のことを、後世の私たちは忘れてはならないのだと思う。


今年も閣僚や元首相などが靖国神社に参拝したことが告げられ、一部の人々は愛国者ともてはやしていたようだが、本当に戦没者を悼むのであれば、きちんと遺骨を大事に持って帰って埋葬するはずであり、それを長くほったらかしにしてきたそれらの人々に真の愛国心戦没者を弔う気持ちがあるのか甚だ疑わしく思う。