雑感 奴隷制等に関して

アメリカの奴隷制に関する本や絵本を最近少し読んでいて、ただただ唖然とする他ない歴史に、いろんなことを考えさせられる。


人間がどうしてここまで残酷になれるのか。
本当に不思議で仕方ない。


白人のすべてが悪いわけではなく、中にはアボリショニスト(黒人奴隷制廃止論者)の白人もいて、命がけで黒人奴隷の逃亡の手助けや奴隷制廃止のために尽くしていた歴史もある。


とはいえ、ちょっと他の人種は、ここまで残酷にならないのではないかという気がしてならない。
オラウダ・イクイアーノが自伝の中に書いているけれど、アフリカの内部でも奴隷制はあったが、白人の奴隷制ほど冷酷ではなかったようである。


とはいえ、他国の欠点は見えやすく、自国の欠点は見えにくいのかもしれない。
日本の歴史も、ひも解けば、おそらくはまた違った形で、いろいろ負の側面もあったのだろう。
戦国時代なども結構奴隷制があったようで、大坂夏の陣のあとは何千人という人が奴隷として売られていったという。
遊郭の女郎も一種の奴隷のようなものだろう。
金や銀の鉱山労働者も、まぎれもなく一種の奴隷のような状態だったらしい。
地域にもよるのだろうけれど、ひどい藩の場合は、重い年貢のもとに喘いで、抵抗もままならなかった百姓も、一種の奴隷や農奴みたいなものだったのだろう。


近代に入ってからも、女工哀史や吉原や炭鉱労働者や小作人など、いろいろな歴史があったろう。
国内においてもそうだったし、朝鮮や中国からの労働者の置かれた状況も、ひどいものだったろう。


もうだいぶ前に見たNHKスペシャル番組で、在日朝鮮人の若い大学生ぐらいの人々が、たしか福岡の赤池あたりの山の方だったと思うが、自分たちの祖父母やその兄弟などが眠っているという墓地に行くのだけれど、日本人の墓石のある墓地のはずれに、犬猫の墓と一緒に、墓石などなく、ただごろごろと少しだけ石が置いてあるだけの場所があって、「鮮人の墓」という標識がちょっとだけあるだけの場所で、そこがお墓だと聞いて、その若者たちが絶句して涙を流していたのを見て、私もテレビを見ながら絶句した記憶がある。


どの国にも、それぞれに、ひどい歴史や悲しい歴史があるのだろう。
大事なことは、忘れないことなのかもしれない。


今私たちが享受しているいろんな権利や生活というものは、一朝一夕にはできない、過去のいろんな人々の苦労や苦闘や涙の上に築かれてきたものなのだろう。