アヴェスタを読んでの感想

野田恵剛『アヴェスタ 原典完訳』(国書刊行会)を読み終わった。
昨年刊行された日本初の原典からのアヴェスタの全訳で、なにせ640頁ぐらいあるので、なかなか読むのは大変だった。
訳者はさぞかし大変だったと思う。

アヴェスタは言うまでもなく、ゾロアスター教聖典である。
高校時代の世界史などで習って、名前だけは知っていたものの、中身を詳しくきちんと読んだことはなかった。
アヴェスタはササン朝ペルシア帝国の時代に編集されたそうで、もとはもっと長かったらしく、現存するのは四分の一ぐらいだそうである。
その中の最古の部分は、おそらくアケメネス朝ペルシア帝国ぐらいの時代のものにさかのぼるらしい。

ゾロアスター教は、ザラスシュトラゾロアスター)がつくった宗教とされている。
ザラスシュトラは正確な年代はわからないが、おそらく紀元前8〜10世紀頃の人物と推定されている。
というわけで、実際に編集されたのはのちの時代としても、ザラスシュトラの教えであるアヴェスタは、人類の最も古い宗教的文献と言える。

で、その内容なのだけれど、読んで感じたことは、二つあった。

ひとつは、いかに聖書や仏典がよくできているかにあらためて気づかされたということである。
アヴェスタは四分の一しか残っていないので、ひょっとしたら他の四分の三の部分にもっと豊かな内容があったのかもしれないが、基本的には多神教の神々への祭儀祭式のための朗誦の文章であり、日本の神道祝詞みたいなものである。
要するに、福を願い、災いを払う、除災招福の祈願がひたすら書かれており、それはそれで興味深くないわけではないが、聖書や仏典のような物語があるわけでもなく、人生への深い洞察があるわけでもない。
善思・善語・善行が強調され、悪思・悪語・悪行を避けるべきことが繰り返されるので、道徳的には高い意識があったのだろうけれど、それら善思や善語や善行の具体的な内容はほぼ全く書かれない。
パーリ仏典がいかに具体的に善思や善語や善行がどういうものかをきちんと細かく説明し、それに至るための実践的方法を詳しく記しているかに、アヴェスタと比較してあらためて気づかされた。
つまり、アヴェスタは抽象的で、あんまり具体性がないのである。

二つめは、一応、アフラ・マズダという神が創造神として存在しているのだけれど、この世の災いは悪魔(ダエーワ)とその中の最も強力な存在であるアンラ・マニユが創り出すものということになっており、基本的に善悪二元論で世界が構成されている、という世界観で、
その結果、幸福も災いも一つの神から発すると考える聖書と比較した場合、アヴェスタにはほとんど罪の意識が出てこないということである。
一応、犯罪や死の穢れについての箇所は出てくるけれど、あくまで単なる法的あるいは穢れの問題であり、自分の罪を深く認識して悔い改めるといった内面的な要素はほとんど見当たらない。
聖書の詩編が神との生き生きとした対話と自らの罪への深い嘆きや悔い改めの言葉に満ち満ちているのに対し、ほとんどそうした要素は見られず、極めて平板な除災招福のための祝詞みたいな内容である。
アヴェスタを読んでいると、いかに聖書が人間の真に迫ったものか、あらためて認識させられた。


以上の二つが感想ではあるのだけれど、アヴェスタそのもので面白い部分もないわけではなかった。
ひとつは、断片で他の部分が失われているので結局どうなったのかはよくわからないのだけれど、神々が人間に災厄を与えて三分の二ぐらいは滅ぼそうと考え、義人には要塞をつくってその中に動物や植物をいっぱい収容させるように勧告している箇所があった。
これは、要塞で、箱舟ではないものの、聖書のノアの話ととても良く似通っており、中東一円にそうした話があったのかと興味深く思えた。

また、個人的にアヴェスタで最も面白かったのは、義しい人が死ぬと、その人の信仰心が十五歳ぐらいの美しい乙女となって現れて、天国に連れて行ってくれる、一方、悪しき人が死ぬと、その人の信仰心が醜い姿で現れて、地獄に引っ張っていく、という話だった。

今でも世界に、十万〜二十万人ぐらいはゾロアスター教徒がイランやインドなどにいるそうで、クイーンのフレディ・マーキュリーや、指揮者のズービン・メータや、インドのタタ財閥などもゾロアスター教だそうである。
なので、今も活躍している人がいないわけではないし、善思・善語・善行を強調する教えは、きっと真面目で誠実な立派な人格を生み出す場合もあるのだろう。

ただし、少なくとも残っているアヴェスタから判断する限りは、聖書や仏典やコーランの方が、内容は奥深く面白く豊かなのように私には思えた。
だんだんとゾロアスター教が衰退したのは、やむを得なかったのかもしれない。
ただ、おそらくはザラスシュトラそのものは、今残っているアヴェスタとはかなり異なる、深い真理の響きがもっとあったような気もするが、何分文献がほとんど残っていないのでなんとも検証のしようがない。

ゾロアスター教から分派したのがマニ教だそうなので、次はマニ教もそのうち調べてみたいと思う。