箴言を読んでいると、短い言葉ながら、とても含蓄の深い、そして勇気を与えられる言葉がそのつど見つかる。
以下の言葉もそうだ。
Do not envy the violent
or choose any of their ways.
(Proverbs 3.31)
暴虐な人を、うらやんではならない、
そのすべての道を選んではならない。
(箴言 第三章 第三十一節 口語訳)
不法を行う者をうらやむな、
その道を選ぶな。
(箴言 第三章 第三十一節 新共同訳)
不法の者をあなたはうらやんではならない。
そして、彼の道のすべてをあなたは選んではならない。
(箴言 第三章 第三十一節 自分訳)
アル・テカネー・ベイッシュ・ハマス・ヴェアル・ティヴハル・ベホル・デラハヴ
誤った道を行って威張っている者や大手を振っているような存在があったとして、決してそのような者をうらやんではならないし、そのような道を真似てはならない、あなたはあなたの正しい道を行け。
そういう意味だろう。
今日は、日本の憲法記念日だが、最近は憲法を改正しやすくしようという声がずいぶん喧しい。
憲法を変えやすくして何をしたいかと言えば、結局のところ、「普通の国」にしたい、つまり米英中露のような、時には軍事力も振るい、時には強権も振るう国にしたい、ということだろう。
また、もっと円滑にアメリカに軍事的にも協力し、もっと円滑に国民の権利も制限しつつ、政府や企業の行動を迅速に円滑にしたいということだろう。
何か不都合があれば憲法を変えるのはそれはそれでありうることだが、今の憲法で別に不都合もないのに、変えやすいように変えるというのは、なんとも首をかしげる。
現憲法で自衛隊は合憲合法であるし、他の人権もきちんと守られている。
アメリカには未だに達成できていない男女平等の規定ももともと日本国憲法には存在している。
押し付け憲法などと言われるが、そもそも現憲法の第二十五条等、GHQ草案にはなくて、日本人が追加修正して成立した条項もある。
何よりも、上諭を見れば一目瞭然だが、この憲法は正当な手続きを経て成立しているもので、押し付けでもなんでもない。
そうではあるが、戦後ずっと改憲改憲と言ってきた人々を見ると、要は、彼らにとってはアメリカなどが羨ましいのではないかと思う。
自らも核兵器を持ち、思う存分軍事力を増強して、他国にも軍事力を行使できる国になりたいし、そういった点でアメリカが羨ましいのだろう。
現憲法は、その点では、たしかに大きな縛りをかけてきた。
しかし、その縛りがあったおかげで、日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも出兵することはなかった。
イラク戦争に関しても戦闘に従事しなかった。
仮に、現憲法の縛りがなければ、ベトナム戦争に韓国軍が参加したように、イラク戦争にイギリス軍が参加したように、日本もそれらの戦争に加わっていた可能性が高い。
今日から振り返れば、ベトナム戦争もイラク戦争も不義の戦争だったことは明らかだろう。
不義の戦争に手を貸すことは、どれほど罪深いことだろう。
日本は、日本の道を行けば良い。
自衛隊は合憲合法なのだから、堂々と自国の防衛のために持てば良い。
現憲法はもともと芦田修正によってそうなっている。
そのうえで、パリ不戦条約の精神を汲んで成立している九条をきちんと守って、ベトナム戦争やイラク戦争のような不義の戦争には今後とも断固として参加しない方針を貫けば良いだけの話だ。
他国の不義をうらやんではならないし、その道を選んでもならない。
この箴言の言葉は、今の日本こそよくよく肝に銘じるべき言葉だろう。
アメリカは、ベトナム戦争の後遺症には長く苦しんできたし、イラク戦争の後遺症にも今後長く苦しむだろう。
自業自得で、不義には必ず苦しみと罪が伴う。
そのような戦に直接参加せずに済んだことは、日本にとって幸いなことでありこそすれ、決して恥ずべきことはない。
むしろ、いつも信念を持たず、本当は参加したいのに憲法の縛りでできないという態度を与党政府がとり続けてきたことこそが情けない問題である。
不義は不義。
義は義。
義人は不義をうらやまず、義の道を生きる。
それこそが、最も肝要なことであり、箴言が繰り返し教えてくれていることだろう。
憲法記念日には、もう一度この原点に立ち返るべきではなかろうか。