十二月八日とイラク戦争と 雑感

いつも思うのだけれど、日本の誇りや愛国ということを口にする人々は、どうして戦後アメリカに対して額づくばかりだった自民党にはまずもってほとんど文句を言うことがないのだろう。
日本が誇りをなくし、自信を喪失した最大の理由は、自民の対米従属にあるとは、彼らは思わないのだろうか。

まともに考えれば、効果があったかどうかもわからない日教組サヨクの「洗脳」とやらより、アメリカにへいこらとどんなことでも額づき、ろくに自国の少女が暴行されても抗議できず、不義の戦争の片棒を担ぐような自民党政府の実際の行動の方が、余程誇りを失わせ魂を蝕んできたと思われる。

もちろん、アメリカと仲良くすること自体はいたって良いことだし、現時点において日米同盟を堅持すること自体はやむをえないし、日本にとって良い面もあろう。しかし、かつて三百万の死者を出して誇りをかけて戦った国に対して、イラク戦争のような不義の戦争を唯々諾々と片棒を担ぐことは、まともな恥の感覚があれば、とてもできないものだったのではなかろうか。

このあたりの感覚が抜けている自称愛国者ナショナリストってのは、どうにも信用がならない気がする。
もちろん、イラク戦争に断固反対していた少数派の保守派は信頼するに足る人々と思うけれど。

十二月八日の、ABCD包囲網やハルノートで追い詰められた日本の苦しみや悲しみを本当に忘れていない真の日本人であれば、イラクの窮境も決して他人事とは思わなかったはずと思う。

歴史において仮定の話はあまり意味がないのかもしれないが、今年の「アラブの春」を見るに、仮に無理にイラク戦争をしなくても、イラクが内発的に民主化した可能性は決してありえなかったわけではないと思う。
カダフィだって倒れたのだから、戦争せずともフセイン政権も倒れたかもしれない。

もしそうだったならば、イラク戦争で死んだ十万人以上のイラクの人々や、戦争後遺症に悩まされる多くの米兵たちの悲劇も回避できていたのかもしれない。

やっぱり、イラク戦争についてきちんと当時も反対できず、その後も何の痛痒も感じず、大量破壊兵器が存在していなかったと明らかになった後の今もきちんと当時のことについてはっきりとした総括ができていないような日本の大半の保守派ってのは、どうにもならんのじゃなかろうか。

イギリスでは、イラク戦争について独立調査委員会が設けられ、徹底した調査が行われ、ブレア元首相も召喚されて厳しい質問を浴びせられたという。
日本は、全くそういう動きがないのは、いったいどうしたことだろう。

もちろん、日本は、幸か不幸か、自衛隊は後方支援や復興支援に限定され、イギリス軍のように前線で戦ったわけではない。
しかし、まかり間違えば、自衛隊に戦死者が出る可能性だって十分にあった。
また、何人かの日本人がイラクで人質にとられたり、殺害された事例もあった。

何よりも、この財政難の時期において、社会保障をかなり圧縮してまで財政に苦しんでいる時期に、不義の戦争にいったいどれだけの税金がつぎ込まれたのか、その費用対効果をきちんと検証することも大事だったはずだ。

どうにも、過ぎたことはすぐに風化して忘れるようでは、大戦の頃から少しも日本は進歩していないのかもしれない。

愛国や自国の歴史を語りつぐというのであれば、ABCD包囲網ハルノートを忘れず、イラク戦争のような重要な時にきちんとアメリカの驕りたかぶりとは違う角度からもの申し、かつイラク戦争についてどうだったのか、きちんと検証するような根気と理性を働かせてこそ、先の大戦の教訓をきちんと活かすということなんじゃないかと思う。

どうも、そうしたことへの努力が致命的に欠けている日本の自称愛国者や保守派というのは、なんとも信用しがたい。