勤勉な人はよく計画す

箴言は、当たり前のようでいて、しばしばとても実践することが難しい、本当に考えさせられる言葉がある。
その言葉を前にすると、しばし考え込まざるを得なくなる。


私にとっては、特に以下のこの言葉がそれだ。


The plans of the diligent lead to profit
as surely as haste leads to poverty.
(Proverbs 21.5)


勤勉な人の計画は、ついにその人を豊かにする、
すべて怠るものは貧しくなる。
箴言 第二十一章 第五節 口語訳)


勤勉な人はよく計画して利益を得
あわてて事を行う者は欠損をまねく。
箴言 第二十一章 第五節 新共同訳)


勤勉な者の計画は確かに利益をもたらす。
早まった者は例外なくただ困窮に至る。
((箴言 第二十一章 第五節 自分訳)


マフシェヴォット・ハルーツ・アフ・レモタル・ヴェホル・アッツ・アフ・レマフソール


なるほど〜っ。。


計画というのは、何らかの目的を達成するための、手順や方法をよく練って、時間配分を調整し管理していくことだろう。


それがうまくいっていないと、前提や手順に狂いが生じて、結果としてうまくいかないということになるのだろう。


物事の成否のカギは、計画とその実行にあるのかもしれない。


しかし、人間というのは、私も我ながらその最たるものだけれど、どうも計画どおりにはいかないということになりやすい。


最初から建てた計画に無理があったり、日々の積み重ねを怠ったり、他の用事やアクシデントに巻き込まれたり。


人生は、なかなか計画通りにはいかないものである。


しかし、そうであればこそ、絶えず計画を見直して、柔軟に対応しつつも、目的と計画を常に考えなおして、段取りや手順を自分なりに工夫していくことが大切なのだろう。


箴言を読んでいると、人間の計画はしょせんは不十分・不完全なもので、神の計画こそが絶対だということと、このようにそうではあっても人間の側の計画の努力の大切さや有益さが説かれているところがとても面白いと思う。


焦って、急に何かをやろうとしても、あんまりそれは有益なことではないというのが、長年のユダヤ人の間の知恵なのだろう。


おそらく、大きな神の計画のようなものがあり、その中に人の計画があって、神の計画に合致した人の計画は長い目で見れば成就し、神の計画に逆らう人の計画は一時的には栄えてもやがて滅びる、というのが古代イスラエルの考え方だったのだと思う。


なかなか、何が本当の神の計画なのかは、人間には知りえないが、不義不当なものがそうでないのは明白なので、不義や不正なことは避けて、できる限り正当な意図や目的に関して、地道な努力を順序正しく積み重ねることが、この箴言の一節に言うところの有益な計画ということなのだろう。


個々人にとってもそれが大切だが、一国にとっても極めて大切なことかもしれない。
国家百年の計という言葉があるように、一つの国家や社会は、最低百年ぐらいのスパンで物事を考えるべきなのだろう。
日本は今、はたして一体どのぐらいの長期的な視野や計画を持っているのだろう。
財政再建社会保障の構築や産業構造の転換に関して、はたして長い目で見た思慮や計画があるのかどうか。
そのことが、長い目で見た時に、日本の国運を左右するのだろう。
急にあとであわてふためいても、ただ困窮に陥るだけになってしまうのかもしれない。