箴言は簡潔にして深い真理を湛えた言葉をよく集めてあるが、以下の言葉もその一つと思う。
When the Lord takes pleasure in anyone’s way,
he causes their enemies to make peace with them.
(Proverbs 16.7)
人の道が主を喜ばせる時、
主はその人の敵をもその人と和らがせられる。
(箴言 第十六章 第七節 口語訳)
主に喜ばれる道を歩む人を
主は敵と和解させてくださる。
(箴言 第十六章 第七節 新共同訳)
主がその人の道を喜ぶ時、
その人の敵たちすらをもその人と和解させる。
(箴言 第十六章 第七節 自分訳
ビルツォット・アドナイ・ダルヘー・イッシュ・ガム・オイェヴァヴ・ヤシュリーム・イトー
人が神に本当に喜ばれる生き方をしている時は、敵とすらも和解できる、ということだろう。
逆に言えば、敵と和解することができるのが、本当に神を喜ばせる生き方をしている人々だということなのだと思う。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」とマタイによる福音書にもある。
敵と和解し、平和をつくる人こそが、神の子であり、神を喜ばせる人びとなのだろう。
歴史を見ていると、そのような人々もいる。
それらの歴史は、人類の宝であり、希望であろう。
一方、その逆もなんと多いことだろう。
非常に残念なことだが、宗教はしばしば、和解どころか、不寛容や排他の巣窟になってしまっている。
本当に大切なことは、自らの生き方が本当に神や仏を喜ばせる生き方なのかどうかを常に自ら省みながら、そのように生きていくことなのだと思う。
諸宗教間にしろ、国家間にしろ、和解をいかにして実現していくか。
それは日々の、各人がいかに神仏をよろこばせる生き方をし、悲しませない生き方をするかの、積み重ねにかかっているのだと、この箴言を読むとあらためて教えられる。