知恵は命綱

箴言を読んでいると、たまに総毛立つような思いをさせられる言葉がある。
恐ろしい言葉と言えばいいのだろうか。


今日は、以下の言葉に特にそのように心を震わせられた。


Whoever strays from the path of prudence
comes to rest in the company of the dead.
(Proverbs 21.16)


目覚めへの道から迷い出た者は死霊の集いに入る。
箴言 第二十一章 第十六節 新共同訳)


慎慮の道からそれてしまう者は、
死者の仲間に入ってそこにとどまる。
箴言 第二十一章 第十六節 自分訳)


アダム・トエー・ミデレフ・ハスケル・ビクハル・レファイーム・ヤヌーアハ


なんとも恐ろしい響きのある言葉だと思う。


単純でシンプルだけに考えさせられる。


知恵、慎慮、あるいは目覚め。
その道からそれると、人間というのは、死霊や死者の仲間になってしまう。
箴言は、情け容赦なくそう断言する。


それを避けるためには、知恵を捨てず愛し続け、日々に慎しみ、気づきや省察を大切にすることが肝要なのだろう。


日本は今はどうなのだろう。
国全体として、慎慮や思慮を失い、死霊の仲間入りをしつつあるのではないかという危惧がときどきどうしようもなく感じられて仕方ない。


もちろん、国や社会のことを考えるだけでなく、自分自身が何よりもこのことを気を付けるべきなのだろう。


知恵や慎慮というものは、自分自身が死霊の仲間入りにならぬようにするための、命綱だと思うと、決して遊戯や遊びごとではない、切実なものなのだとあらためて襟を正される気がする。