第一次世界大戦について若干

どうも昨日、以前に録画しておいた第一次大戦関連の番組を三つも見てから寝たせいか、夜中に胃腸がねじれて三回も嘔吐した。

シェル・ショックの映像、昔から見ると具合悪くなるのだけれど、昨日もシェル・ショックの映像を見過ぎたんだと思う。

朝起きたらおさまっていたのだけれど、やっぱ見る時はちょっとずつにしようと思った。
にしても、あまりに悲惨すぎる。

シェル・ショックというのは、砲弾神経症と訳されるけれど、あまりにも至近距離で絶え間ない大砲の炸裂音を聞いたり、その恐怖にさらされた結果、身体がガタガタ震えだして手足が絶えず貧乏ゆすりをしたような状態になることである。

正確には、単に砲弾の音響だけでなく、あまりに大きなストレスや恐怖によるものらしく、戦争神経症と呼ぶ方が正確だそうである。

それらの映像を見ていると、あまりに気の毒で胸がつぶれる。
彼らのその後の人生はどうなったのだろう。

それに、映像には、おびただしい手足を失った人や、顔面がゆがんだり破壊された人々の映像も写っていた。
一次大戦後のその後の歴史も前途多難なことだったことを考えると、彼らのその後の人生がどうなったのか気になってしかたない。

ただ、昨日見た番組は、『カラーでみる第一次世界大戦』というのと、それとは別に、NHKの『歴史ヒストリア』という番組の特集の『パリのナース』という回だったのだけれど、後者は、1914から1916にかけてパリに派遣された日赤の看護婦の人の手記をもとに第一次大戦の負傷兵の治療にあたった日本人たちの貴重な記録に光をあててあってとても良い番組だった。

それによれば、何千人というフランス軍の負傷兵を日本から派遣された日赤の医療チームが治療し、今もそのおかげ助かった人の子孫の人がフランス各地にいるそうである。

残念ながら、1916のヴェルダンの戦いのおびただしい負傷兵を前に、派遣されていた医療班は能力や物資の限界に達し、撤退したそうで、帰る時には駅まで多くの治療を受けたフランス兵たちが感謝の送別に来たそうだけれど、考えてみると、1916のあとがそれこそ地獄のような戦争にさらになっていったわけで、日本本国がもっと深慮があって多くの人員や物資を送って医療活動に当たれば、一次大戦後の日本の影響力やイメージはだいぶ違っていたのではないかと残念に思えた。
と同時に、たぶん、日本ができる国際貢献としては、こういったことが今後もとても重要なんだろうなぁと思えた。

あと、『カラーでよみがえる第一次世界大戦』を見ていて考えさせられたのは、同じ体験をしてもどう受け止めるかでその後の人生が違うということである。
二次大戦でイギリス軍を率いたモントゴメリーは、一次大戦で若い士官で一部隊を率いていた時に、前線で負傷して取り残されたことがあった。
しかし、部下たちが命がけで日が沈んでから救出してくれて、そのことに感動し、それ以来、前線の兵士たちがいかに最小限の犠牲で済むか、なるべく死なずに済むかを念頭に作戦を心がけるようになったそうである。
一方、ヒトラーは、人間は現れては消える原子に過ぎないという人生観を一次大戦の戦争体験で確立したそうだ。

また、英軍は、ソンムの戦いのおびただしい犠牲に大きな衝撃を受け、その後はいかにソンムを繰り返さないかを常に念頭において二次大戦も戦うようになったという。
一方、ドイツは、1918の大攻勢の失敗のおびただしい犠牲もあまり反省せず、似たようなことを二次大戦でも繰り返したようだ。

何かの体験をしても、結局どのようにその後に受けとめ、生かすかが大事なのだろう。

にしても、もうひとつ、この番組を見ていて驚いたのは、1918年の春の時点でも、ドイツは勝利の信念を多くの人が持っており、ソビエトとの講和が成立し、東部戦線の部隊を西部戦線に移動して大攻勢をかけた時は、これできっと勝てると考えていた、それに対し、イギリス軍の兵士たちは、士気があがらず、大攻勢を持ちこたえることができるか心配し、とても勝てないと思っていた、ということである。
実際は大攻勢が挫折し、間もなくドイツの降伏ということになったので、あらためて、人間の士気や予測なんて本当にあてにならないものだと思った。

ただ、英独だけでみればたしかにそんな感じで、米軍の参戦が決定的だったんだろうなぁとも思う。

にしても、一次大戦から百年、いまもってあまりにも多くの教訓があの歴史はこめられていると思うけれど、どのぐらい日本はその教訓を当時も今も引き出せているか、甚だ疑問な気はする。