メモ帳

高橋三郎先生の聖書講話を以下のサイトで自由にダウンロードして無料で聞くことができます。

https://drive.google.com/folderview?id=0B19HIWkl9jG8bjVDd3FGcF9DODQ&usp=sharing&tid=0Bx_C4jbxlP1hRzVTQ29kc29CcTQ 

高橋三郎先生は、戦後の無教会主義キリスト教の中心だった方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E4%B8%89%E9%83%8E_(%E7%84%A1%E6%95%99%E4%BC%9A)



NHK Eテレ こころの時代〜宗教・人生〜「筑豊に“隣人”ありて」
犬養光博先生 2014年5月4日放送 

すばらしい番組だった。

以下のサイトで自由に見ることができるので、ぜひ多くの人に見て欲しい。
http://www.dailymotion.com/video/x1u8p7f_inukai_lifestyle



「三界は定まれる性あることなし」
聖徳太子



「振り向けば オレンジ色の 月ありき」
(桝本華子)



「私は一つの大望を胸に抱いた。それは私の生活を視、私の存在に接する人々の前に、私が生きている事自体が、神の存在の証明でありたいという願いである。神を疑う者は私を視よ、と高唱し得る人になりたいとの願いである。」(高橋三郎)


「とるに足らぬ自分の生涯にも、宇宙大の意味があり、宇宙大の使命が与えられている。そのことを知るとき、小さな自分も天を仰いで、本当に生命の喜びを感謝することができる。」(高橋三郎)



「生ける真の神を信じ、その御手にすべてをおゆだねする」ということが三谷隆正の根幹にあることなんだろうけれど、なかなかそれが難しいよなぁ。




「私たちの間にあった巨大な壁は、1973年に崩れ落ちました。しかし、未だ壁は残っています。お互いの猜疑心の壁、拒絶、強迫観念、これら精神的な障壁が問題の七割を作り出していると言えるでしょう。今日、私は皆さんに呼びかけたい。互いに手を携えて、信頼と誠実さでこの精神的な障壁を取り除きましょう。」(1977年、イスラエルの国会において、エジプトのサダト大統領)

「血も涙も十分に流した。もう充分です。私たちはあなたたちに、いささかの憎しみも抱いてはいません。復讐したいと願ってもいません。共に綴ってきた悲しみの書物に、新しい章を、一緒に開こうではありませんか」(1993年、オスロ宣言調印式にて、イスラエルのラビン首相)

「ここまで到達するには、途方もない勇気が必要でした。平和を確立して共存関係を維持していくには、さらに大きな勇気と決意が必要となるでしょう」(1993年、オスロ宣言調印式にて、PLOのアラファト議長

「私は27年間にわたって軍人として戦い続けてきましたが、その間に平和を実現する機会は一度もありませんでした。
しかし、今、その機会が訪れたことは間違いありません。
だからこそ私は、平和にチャンスを与えることに決めたのです。
 
今日ここに集まっておられるみなさんは、ここに来なかった人々と共に、国民は心から和平を望み、暴力に反対しているのだという事を、身をもって示してくれました。
暴力は、イスラエルの民主主義を根底から蝕むものです。
暴力は非難され、排除されなければなりません。
暴力に蝕まれた姿は、イスラエル国家が歩む道ではありません。
和平への道は、様々な困難と痛みを伴う道だというのが実状です。
イスラエルにとって、痛みを伴わない道は皆無です。
しかし、戦争の道よりは和平の道を望みます。
今日、国防相の立場からイスラエル国防軍兵士の家族の痛みを見ている人間として、こう言いたいのです。
彼らのために、私たちの子供たちのために、そして私たちの孫たちのために、この政府が、包括的な和平の推進と達成のために、あらゆる糸口、あらゆる可能性を探り尽くすように、願ってやみません。」



「もしも、私が自分の意識を、すでに死んだ過去や想像のものに過ぎない未来に基づく求めや期待によって支配させることがなければ、私は今ここで楽しむために必要なものをすべて持っている。」(ベニグノ・アキノ・ジュニア


「お互いにこのくり返しのきかない一生を、自分の生命を燃やして生きて行こう。そしてイエス・キリストのみ言葉を掲げて、その光を反射する者となろう。安逸を貪るな。己れに勝て。必要とあらば、いつでも神のために死ねる人間であれ」(三浦綾子塩狩峠』(新潮文庫)347頁)



そういえば、昔、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』を読んでいる時に、個人の不安定性のもとは、その個人のメンタルな問題ではなく、世界市場の不安定性に起因するみたいなこと(ちょっとうろおぼえだけど大体そんな意味のことのはず)って書いてあって、めっちゃ目が覚めたような気がした。
なんちゅうか、巷にはスピリチュアル系や自己啓発系の本が溢れ返っているし、カウンセリングやセラピーが繁盛しているし、それはそれで大切かもしれないし有効な場面もあると思うけど、世界市場ってものを考えないと、個人の主観やあがきだけでどうにかなるってもんじゃないんだと思う。
なので、私はどうもあんまり、自分探しやら自己分析ってのは、それはそれで意味がないわけでもないとは思うけれど、それだけだとどうも疑問で、世界市場や世界システムってことを把握せんことには、自分自身の救いや現状分析もあんまりできんのじゃないかなぁと思った。
とはいえ、世界が悪いから自分には責任はないと言って無責任に生きるのも最悪な生き方だろうし。バランスが難しもんだろうなぁと思う。でも、自分自身が救われるためには、この世界をどうにかせんと、本当の意味では救われんのじゃないかなぁとは思う。内面だけ見てもどうにもならんのではと。


すげー、『テオロギア・ゲルマニカ』の日本語訳が、近代デジタルライブラリーにあった。http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%85%A8%E3%81%8D%E7%94%9F%E6%B4%BB … これで無料で読めるなぁ。