エスペラント語で申命記の第六章四〜九節を読んでみた

申命記の第六章の四節から九節は、「シェマー」と言い、ユダヤ教では日々に繰り返し唱える聖書でも最も重要な箇所とされている箇所である。


「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」


という文章である。


今日、ふと思い立って、エスペラント語訳の聖書のその箇所を読んでみたら、なかなか面白かった。


“Aŭskultu, ho Izrael! la Eternulo, nia Dio, la Eternulo estas unu sola.
Kaj amu la Eternulon, vian Dion, per via tuta koro kaj per via tuta animo kaj per via tuta forto.
Kaj ĉi tiuj vortoj, kiujn mi ordonas al vi hodiaŭ, estu en via koro;
kaj ripetadu ilin al viaj infanoj, kaj parolu pri ili, kiam vi sidas en via domo kaj kiam vi iras sur vojo kaj kiam vi kuŝiĝas kaj kiam vi leviĝas;
kaj alligu ilin kiel signon al via mano, kaj ili estu kiel memorigaĵo inter viaj okuloj;
kaj skribu ilin sur la fostoj de via domo kaj sur viaj pordegoj.”


だいぶ日本語や英語で読む時とは印象が変わって、非常に知的で合理的で開明的な感じがした。


エスペラント語から直接訳すると、以下のような感じである。


「聞きなさい、おお、イスラエルよ!
永遠者、私たちの神、永遠者はただ一つである。
そして、永遠者を愛しなさい、あなたの神を。あなたのすべての心によって、あなたのすべての魂によって、あなたのすべての力によって。
そして、これらの言葉、つまり私が今日あなたに命じた言葉を、あなたの心の中に存在させなさい。
そして、それらをあなたの子どもたちに繰り返しなさい。そして、それらについて話しなさい。あなたが家の中で座っている時も、またあなたが道の上を歩いている時も、またあなたが寝ている時も、またあなたが起きている時も。
そして、それらをあなたの手に印としてつけなさい。そして、あなたの目と目の間に記憶させるものとしてそれらを存在させなさい。
そして、それらをあなたの家の柱の上とあなたの門の上に書き記しなさい。」


特に興味深かったのは、「主」と訳されているヘブライ語、つまりYHWH(アドナイ)の箇所が、”La Eternulo”つまり「永遠者」「永遠なるもの」と訳されていることである。


ザメンホフの独自の訳かというと、そうではないようで、調べてみるとフランス語訳の聖書ではもともとフランス語における「永遠者」と訳すことが多かったようである。
ザメンホフもその影響でこう訳しているのであろう。


あと、興味深かったのは、日本語訳における「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め」という箇所を、私は今まで、この文章の前後にある申命記の全体を指しているものと思っていたのだけれど、どうもエスペラント語訳を読むと、もっと直接的にこの文章、つまり永遠者は唯一でありその永遠者を愛しなさい、という言葉を常に心に留めなさい、ということだとはじめて明瞭にわかった。


もっとも、一番良いのはヘブライ語をきちんと読めるようになることなのだろうけれど、いろんな言語で聖書を読んでみると、それぞれ味わいの違いや気づくところの違いがあってなかなか面白いと思う。