メモ帳

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。 その測り知れない力は神のものであって、 わたしたちから出たものでないことが、 あらわれるためである。 」
(コリント人への第二の手紙 第四章 七節)
土の器である我らに、宝である光がそそがれる。ありがたい。




(ヤベツの祈り)
Ho, se Vi min benus kaj vastigus miajn limojn, kaj Via mano estus kun mi kaj forigus la malbonon, por ke mi ne havu aflikton!
ああ、もし、あなたが私を祝福して私の限界を広げてくださり、あなたの手が私とともにあり、私が悩みを持たないように災いを取り除いてくださるならば。




「この先もずっと金融緩和が日本経済の再興に役立つことはあり得ません。畏れるべきは金融緩和の悪い側面が表れ、庶民の生活を痛撃するインフレです。あらゆる社会的不公平を噴出させてしまいます。」
「9条は含蓄がある条文で、これで日本が大きく停滞したという話はありません。(憲法改正に取り組む場合も)核装備をする余地を残さず、専守防衛に徹する、ということを厳密にしないといけません。」
日経新聞1月3日付 特集―年頭直言、安倍首相へ、元経済財政相与謝野馨氏―憲法改正、議論慎重に)



『小公子』(”Little Lord Fauntleroy”)を読んでいて、以下の言葉に胸を打たれた。

"Oh, Ceddie!" she had said to him the evening before, as she hung over him in saying good-night, before he went away; "oh, Ceddie, dear, I wish for your sake I was very clever and could say a great many wise things! But only be good, dear, only be brave, only be kind and true always, and then you will never hurt any one, so long as you live, and you may help many, and the big world may be better because my little child was born. And that is best of all, Ceddie,—it is better than everything else, that the world should be a little better because a man has lived—even ever so little better, dearest."

「ああ、愛しいセディー!私があなたのために、本当に知恵があって、多くのたくさんの賢いことを言うことができたなら。けれども、愛しい子よ、どんな時も、ただ良い人であり、ただ勇敢であり、ただ親切で真実であってちょうだい。そうすれば、生きている限り、あなたは決して誰をも傷つけることはないわ。そして、あなたは多くの人を助けることができるでしょう。私の小さな子が生まれたということで、この大きな世界は良くなることもできるのよ。そして、すべてにまさって、セディー、他の全てのことより良いことは、その人が生きていることで、この世界が少しでも良くなるということなのよ。たとえどんなにほんの少しでも。最愛の子よ。」

本当に、どんなに少しでも、この世を悪くするのではなく、良くすることができたら。
それが人の生きた証であり、意味ということなのかもしれない。



年末に録画していた筑紫哲也さんについての特集番組を見た。その中で、筑紫さんが、「少数者であることを恐れない」「自由の気風を保つ」「権力を監視する」ということを述べていたのが、あらためて印象に残った。この三つの精神は、健全なる社会の基礎だとあらためて思う。



そういえば読売新聞は二年半前、2011年7月16日の社説で、全五十四基の原発が止まるとGDPが十四兆円以上減少し、五十万人が失業し、発電コストは四兆円増加という予測を挙げ、菅叩きを行っていた。今止まっているけど、ぜんぜんそうなってないよなぁ。マスコミは言いたい放題で責任はとらず。


ある方の御話。失明しつつある時、目が見えるようにしてください、さもなくば自殺します、と神に必死に祈った。しかし、失明した。数年は何もする気がしなかったが、徐々に立ち直り、いろんな導きがあった。時が経って、確かに神は祈りをかなえてくれた、肉の目は見えなくなったが、心の目は開いた、と




けだし名言。Noiehoieさん
https://twitter.com/noiehoie/status/191441823942709248

これもそのとおり。
https://twitter.com/bcxxx2/status/422061539596587008




“Perfect love casteth out fear.”
(1 John 4:18)

“Perfekta amo elĵetas timon.”
(I. JOHANO 4.18)

「完全な愛は恐れをとり除く。」
ヨハネの第一の手紙 第四章 十八節)



「イエスさまが深い愛をお持ちになってお前を守ってくださったように、お前も深い愛で応えなければならないよ。そのことを忘れてはいけないよ。」(『わたしのアンネット』第三十八話のクロードおばあさんのセリフ)
うーん、小さい頃聞いたはずなんだが、長いこと忘れてしまっていたなぁ。



“But I am like a green olive tree in the house of God:
I trust in the mercy of God for ever and ever.”
(Psalms 52:8 KJV)

“Kaj mi, kiel verda olivarbo en la domo de Dio,
Fidas la bonecon de Dio ĉiam kaj eterne.”
(Psalmaro 52:8)

「しかし、わたしは神の家にある
緑のオリブの木のようだ。
わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む。」
詩篇 第五十二篇 八節)




主はあなたを祝福し、守っておられる。
主はあなたの上に御顔を照らし、あなたを恵まれている。
主はあなたに御顔を向けて、あなたに平安を与えておられる。
(民数記 第六章 二十四〜二十六節)



「からからの一口分の食事でも心安らかな方が、家の中に山のようなお供え物があって争いに満ちていることよりも、良いことだ。」
箴言 第十七章 一節 自分訳)




一次大戦の、毒ガスや火炎放射器から逃れながら、戦友の屍を踏みつけてぬかるみの中を歩き回り、鉄条網にひっかかりながら機関銃の中を進撃しなければいけなかった人たちのことを思えば、平和な世の中で自由に生きれるだけでどんだけ幸せかと思う。



「自己の成長と、 世でいういわゆる成功とは、 稀には合致するが、 多くの場合は相いれない。 なぜなら、 立身出世の標準は外部に求められるが、 自己の成長は 各自の内部の経験に基づくからである」 (新渡戸稲造


「与えよ、
受けよ、
心を楽しませよ。
陰府で楽しみをどうして求めえようか。」
(シラ書 第十四章 十六節)




"Give and receive, enjoy yourself -- there are no pleasures to be found in Sheol."
(Ecclesiasticus 14:16)


“Donu kaj prenu kaj ĝuigu vian animon,
ĉar en Hadeso ĝuo ne estas trovebla.”
(Siraĥ 14:16)


「与えよ、
受けよ、
心を楽しませよ。
陰府で楽しみをどうして求めえようか。」
(シラ書 第十四章 十六節)


「与えよ、受けよ、心を喜ばせよ。
陰府では楽しみを探し求めるわけにはいかないのだから。」
(シラ書 第十四章 十六節)




「人天の法は

生死の法じゃ。

仏法のみあって

生死解脱の法じゃ。

これを知らせたいものじゃ。 」

(慈雲尊者)



「快楽は苦のもとである」「有により生まれがある」「生きているものには老いと死がある」と知悉すること。
「根本法門経」を読んでて、そのことの大切さをあらためて教えられた。繰り返し教えられないと、忘れてしまうのが凡夫の悲しさ。






「佐保姫の かすみの衣 はるきぬと 袖ふるやまに 立ちかさぬらむ」(後西天皇「水日集」)

「夕霞 あがる雲雀の 声はして 翼は見えぬ 野辺のをちこち」(後西天皇「水日集」)


「都さへ まだ白雪の ふる巣には いかにはる知る うぐひすの声」(後西天皇「水日集」)

「かすむとも まだ白雪の 山の端に 春のいろなる あさづく日かな」(後西天皇「水日集」)


「小山田の 蛙の声も 聞く人の やがてことばの たねならぬかは」(後西天皇「水日集」)


「山ふかみ 誰れにか見せむ 色も香も あたら垣根の 梅のさかりを」(後西天皇「水日集」)


「心ある 誰が植えおきて 道のべの 行きかふそでに とまる梅が香」(後西天皇「水日集」)




「特に愛国心愛国心と言って、外の業務を忘れて愛国心の作興に従事するなどと云うことは真に学者の僻見である。誰しも己れの生まれた国を愛せざる者はないのであるから、人間百端の事に従事すると共に愛国心は伴うて行かなければならぬ事柄であると心得てさえ居れば宜しい。」(伊藤博文













高橋三郎 CD 目録


一、「流れのほとりに移植された木」 詩篇一篇
二、「天に国籍を持つ者」 フィリピ3・18〜20
三、「イエス戸をたたきたもう」 黙示録3・20
四、「神の国の到来」 マルコ1・14〜15
五、「主の呼びかけ」 イザヤ43・1〜3
六、「国籍を天に」 フィリピ3・20
七、「最後の晩餐」 Ⅰコリ11・2〜26
八、「受難節の黙想」 マタイ25・31〜46
九、「宗教改革の源流」 出エジプト20・1〜17
十、「絶対者との出会い」 使徒言行録9・1〜9
十一、「神の国の福音」 マルコ1・1〜4
十二、「信仰のみということ」 イザヤ43・1〜3