二二六事件から八十五年

今日は、二月二十六日で、二二六事件から八十五年が経った。

民主主義と暴力の関係は、今も切実な問題である。
実際、つい最近も、アメリカでは一部のトランプ支持者が暴徒化して議会に乱入する事件が起こった。
ミャンマーでは今現に実際に民主主義を停止して軍部によるクーデターが起こっている。
そこまで実際の暴力行動が行われていなくても、日本も含めて多くの国々で民主主義に対する疲れや苛立ちを感じている人がしばしば見かける時代となった。

議会制民主主義というのは、時間がかかる。
すべて議会における手続きが必要で、その手続きもめんどくさい。
そしてまた、現実の社会というのは複雑で多様な利害や考えが存在しており、その調整や合意をとりつけていこうとするととてつもなく時間がかかる。

ゆえに、議会や民主主義はめんどくさいと感じて、一足飛びに改革や革命を起こそうと考える誘惑に、真面目な人ほど時にはかられるのかもしれない。

実際、二二六の青年将校たちは、その遺書を読んでもよくわかるが、とても真面目で純粋な人々だった。
たしかにその思考は短絡的だったかもしれないが、陸軍士官学校を首席で卒業した人物などもおり、己の保身や自己利益だけを考えるならばわざわざリスクを冒してあのような事件を起こしはしなかったろう。
彼らなりに、貧富の格差のひどさや、その是正が行われないことへの怒りや苛立ちから、貧しい人々をなんとかしなければならないと思って事件を起こしたのだろうと思う。

しかし、問題は、議会制民主主義を無視して、一足飛びに改革を実現しようとして強引なやり方や暴力を用いたとしても、決して良い結果は生まないということである。
二二六事件も結局は失敗に終わり、多くの人命がいたずらに失われただけだった。

渡辺錠太郎高橋是清など、冷静になって考えてみれば殺す必要のない立派な人物たちが殺害されてしまい、その遺族たちにも深い心の傷を残すことになった。
彼らを君側の奸や国賊とレッテルを貼って殺害した二二六の青年将校たちは、あまりに短絡的だったと言えよう。
また、鈴木貫太郎は重傷を負いながら奇跡的に命が助かったが、もし二二六事件で鈴木貫太郎まで死んでいた場合、はたしてその後の歴史において1945年8月の終戦が可能だったかどうか、さらに戦争が長引いたかもしれないことを考えると、ぞっとするものがある。

短絡的なレッテル貼りによる暴力ほど、不毛で損害の多いものはない。
いかに時間がかかり、めんどくさく思えても、議会制民主主義を通して、地道に調整と手続きと合意を形成しながら、一歩一歩社会を改革していくしかない。

そのことを、二二六事件を思う時に、あらためて胸に刻まされる気がする。
そして、そのように思い、議会制民主主義のために地道に自分のできる範囲で努力することが、二二六事件の被害者や青年将校たちへのせめてもの供養になるのではないかとも思う。

生きづらい時代に生きるのは、おそらく1930年代も2020年代の我々も似たようなものかもしれないが、もし違いがあるとすれば、過去の過ちを忘れずに違う道を選択する自由が後世の人間には与えられていることなのだと思う。