トランプ支持者の議会への乱入のニュースを見て

昨日のニュースで、トランプ支持者が議会に乱入している映像を見て、驚かされた。

アメリカという、民主主義と現代文明の中心地であるはずの国の首都において、暴徒が暴力で議会に侵入しようとする、「野蛮」としか言いようがない事態が実際に展開されていた。

二十一世紀の文明はその内部にとんでもない野蛮を抱え込んでしまっているということについて、あらためて考えざるを得ない。

 

インターネットは人を賢くするとは限らず、かえって使い方を誤れば野蛮や迷妄に陥れる。

今回の事態はその証拠なのだと思う。

これは何もアメリカに限らず、日本でもSNSなどを見ていると同じ現象はしばしば見かける。

誤った仕方でインターネットを利用し続け妄想をつのらせた人々は、今後の世界において秩序や礼節や理性や文明にとっての最も大きな脅威となるのかもしれない。

 

このような暴徒化や野蛮を防ぐためには、学校教育のみならず、あらゆる年代を対象に、社会においてファクトチェックやメディア・リテラシーや礼節や知的誠実さについての教育や喚起が不断に行われていくことが必要なのかもしれない。

民主主義というのは、実は民主主義の制度や手続きや考え方だけではなく、その背景に政治的な民主主義以外の、一定の礼節や作法といった文化的な要素を必要とする。

あまりにも無知蒙昧や野蛮さに満ちた人々がいれば、民主主義そのものの存立が危うくなる。

 

議会に乱入した暴徒たちには厳正なる法の裁きが行われてしかるべきだけれど、それだけではなく、社会においてこのような野蛮な振舞いは恥ずべきことだという当然の批判と指弾がきちんとなされることを願う。

このような暴徒化を野放しにしたり甘やかすとろくなことにはなるまい。

何よりもあのような振舞いは恥ずかしいという感覚が社会に共有されて欲しいものである。

議会への乱入など、文明に反する野蛮そのものである。

 

アメリカはよく日本の二十年先の未来をいっているということが言われるが、二十年後の日本においてこのような暴徒が国会に乱入するようなことがないことを願うばかりである。

今回、SNSを見ていていつものことながらげんなりさせられるのは、一部の右派の人々が熱心にトランプを支持していたことである。

作家の百田尚樹氏はその典型である。

彼らは、六年前はあくまで平和な非暴力のデモに徹していたSEALDsたちを「過激派」だとか「テロリスト」などと呼んで批判していたというのに、実際に議会に乱入したトランプ支持者の暴徒たちをろくに批判していない。

もし、これから先、日本にも今回のアメリカのような事例が現れるとすれば、おそらく百田氏や百田氏に扇動されたような人々がこのような事態を起こすのではないかと危惧される。

日本にとっても、今回の出来事は、決して他人事ではないように思える。

百田氏のような人が前首相のお気に入りであり、対談本まで出し、わりと広範な読者を得ていたことを思えば、二十年とは言わず、場合によってはもっと近い未来に日本にも野蛮が吹き荒れ得るのかもしれない。

 

野蛮に対抗する文明や良心や礼節を自覚的に大切にする人がどれだけいるかが、二十一世紀の世界のありかたを左右するのだろうけれど、どこまで対抗できるのか。
私たちは新たな野蛮の時代の登場を残念ながら目の当たりにしてしまっているのかもしれない。