第一次大戦のドイツの失敗から日本は何を学んだのだろう

第一次大戦のドイツの失敗から、二次大戦の日本はほとんど何も学んでいなかったということを、この頃考える。


1、ドイツの二正面作戦の失敗。
2、ベルギーの市民ゲリラをドイツ軍が処刑したことが国際的非難を受けたこと。
3、ドイツの統帥権独立と陸海軍疎隔の問題。 


これらの教訓を少しは学んでいれば…。
結局、日本は何も直近のドイツの失敗から学んでなかったのではなかろうか。


1の二正面作戦の失敗ということで言えば、ドイツのシュリーフェンプランの失敗をよくよく学ぶべきだった。


ドイツの場合、シュリーフェンプランよりも、シュリーフェンの前任者の大モルトケの東で限定攻勢・西で防戦という作戦の方が優れていた。
モルトケはベルギーの中立を侵犯せず、むしろフランス軍にさせて、ライン川で防衛する予定だった。
モルトケの作戦に従っていれば、ドイツは一次大戦で無残な敗戦をしなかったかもしれない。


つまり、会戦で決定的な勝利をおさめて短期間で戦争を勝利する、ということが不可能ということである。


日本は、アメリカを将来の仮想敵国と理解しながらも、二正面作戦の危険を冒してまで中国と戦争を始め、しかも短期間で収拾できると考えていた。
そのうえ、日中戦争が泥沼化すると、二正面作戦であるアメリカとの戦いに突っ込んで行ったのだから、一次大戦のドイツの失敗を全く学んでいないのではないかと思う。


さらに言えば、一次大戦でドイツの艦隊がほとんど役に立たなかったことを考えれば、巨艦巨砲主義はとっくに放棄されていてよかったのに、国力を注ぎ込んで大和や武蔵をつくっていったことも、一次大戦の教訓に学ばなかった4番目のことと言えるかもしれない。


ドイツでは統帥権が独立していて文民統制が不在であり、しかも陸軍と海軍の連携がほとんどなされていなかったことも敗因の要因だった。
このことも、日本でろくに検討されることはなかったようである。


あと、もっと言えば、イギリスとドイツの勝敗を分けたのは結局国力であり、原油産出量としてイギリスが920万トンだったのに対しドイツは10万トンだった。
石炭や鉄ではほぼ同等だったが、石油や海上輸送網の問題は非常に大きかった。
資源や輸送網の差が、最終的に戦争の勝敗を決定することは一次大戦からも明白だったが、日本はジリ貧に追い込まれて開戦したとしても、そこまでなる前にこのことをどれぐらい真剣に考えていたのだろう。


どうも、一次大戦からほとんど学ばず、日本は二次大戦に突入してしまったのではないかという気がする。
部分的には石原莞爾永田鉄山が総力戦を構想したり、山本五十六が航空戦を重視するようになった、といった程度には一次大戦の教訓が学ばれたのだろうけれど、本来はもっと指導層全体で真剣に一次大戦が検討されるべきだったのではなかろうか。