「昭和天皇独白録」を読んで

昭和天皇独白録 (文春文庫)

昭和天皇独白録 (文春文庫)

昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記

昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記



昭和天皇が敗戦の直後、数人の側近たちの質問に答えて語った、昭和初期から敗戦までの回顧談。


この存在は前から知っていたのだけれど、しっかり読んだのは今回がはじめて。


極めて興味深い、貴重な記録だった。


あの大戦を、天皇という立場から見た時には、こう見えていたのか。
そのことがリアルに伝わってくる不思議な記録である。


全体を通して印象的なのは、あの熱狂の時代の中心にいながら、昭和天皇の異様なまでの冷静さと醒めた精神である。
およそ熱狂からは程遠く、たいした期待も持たず、一貫して米英との協調を望み、ドイツには不信を持って、かなり先まで的確に見通している。


にもかかわらず、憲法や制度上の問題もあったし、時勢の流れもあって、その意図からかけ離れた方向に時局が次々と展開していく様子は、なんとも人の世のむなしさと無力さを感じざるを得ない。


にもかかわらず、さほど落胆するわけでもなく、気落ちするわけでもなく、おおむね淡々としていて、冷静に終戦の時期を見定めていく昭和天皇の不思議なまでの醒めた精神はいったい何なのだろう、読んでいて、とても印象的だった。


「台風の目」


そんなたとえが、ふと読みながら浮かんだ。


読んでいて面白かったのは、けっこう率直に当時の政府の首脳たちの人物評価をしていることである。
昭和天皇によれば、米内光政と東条英機は極めて評価が高く、よくやった部類に入るようである。
一方、松岡洋右宇垣一成小磯国昭平沼騏一郎らには相当に辛辣な評価をしている。
また、近衛文麿には「確たる信念と勇気を欠いた」と評していた。


また、敗戦の原因として以下の四つのことをあげているのも非常に興味深かった。


一、兵法の研究が不十分。敵を知り、己を知らねばならないのに、その点が駄目だった。
二、精神を重視しすぎて、科学を軽視していた。
三、陸海軍の不一致。
四、常識ある首脳の不在。どの人も専門家になりすぎていて、部下統率の力量を欠いていた。


要するに、彼我の実力の把握とそれに基づく戦略が欠如していたこと、科学的発想の不足、組織同士のいがみあい、政治的マネイジメントの不足ということだろう。
より短くまとめれば、政治的統合と政治的知性が欠如していたということだろう。
極めて適切な観察であると思う。


また、非常に興味深かったのは、独ソ戦に関して、ドイツ側に三回、昭和天皇がアドヴァイスを送ったというエピソードである。
ドイツに、ソビエト侵攻時にはソビエトとの戦争にのめりこまず、アフリカ戦線に主力を回して集中すべきこと。
また、ノルマンディー上陸作戦後は、ソビエトには防御の兵力のみとどめ、上陸してきた米英軍に打撃を与えることに集中すべきこと。
さらにソビエトの侵攻が本格化した時点では、ソビエトと早期に講和し、対米英戦に専念すること、をアドヴァイスしたという。
これらは極めて的確なアドヴァイスだったと思うが、どうも少しもドイツは耳を傾けなかったようだ。


また、読んでいて印象的だったのは、昭和天皇が、日独伊三国軍事同盟にあとで「単独不講和確約」、つまり一国だけで勝手に他の国と講和しない、という約束が付け加わったことを非常に残念がり、問題視していたことである。
この約束のため、のちのち日本が非常に苦しんだことを繰り返し指摘していることは興味深かった。
ドイツが勝ちまくっていた頃、日本の外務省や陸軍が、ドイツだけ勝手に講和して日本だけがアメリカと戦争する状態になることを避けるために結んでしまったそうだが、このため日本はドイツが降伏するまで国際信義上単独講和を米英と結ぶことが憚られたという。
先の見通しが悪いと、こんなにも後々自縄自縛となる条約を結んでしまう場合があるということなのだろう。
後世、このようなことがないように、あらゆる国際条約には気を付けるべきかもしれない。


盧溝橋事件に関しても、中国側が仕掛けたとは思わない、と明言し、つまらない偶発的なトラブルから拡大したという見解を示しているのも興味深かった。


二二六事件の時も、経済の悪影響をとても心配して、短期間で鎮圧しようと考えたと述べているところも興味深かった。


大東亜戦争の遠因として、第一次大戦講和条約にさかのぼり、日本が提案した人種平等案が却下され、その後カリフォルニアの排日移民法ができ、かつ青島の権益を還付せざるを得なくなったことで、国民世論が反米に傾いていったことを挙げていることも興味深かった。


また、独白録そのものではないが、皇太子への手紙の中で、日本の敗戦の原因として、第一次大戦のドイツのように軍人が跋扈し大局を知らなかったことを挙げているのを見ると、当時の日本人にしては珍しいぐらい、第一次世界大戦やその決着の仕方が孕んでいた問題や、第一次大戦期のドイツの問題を的確に把握していたこともうかがわれて、非常に興味深かった。


にしても、これほど冷静な的確な認識を持った人物が天皇の位にいても、なおかつあの敗戦を避けられなかったのか、あるいはそのような人物が天皇であったからこそ、紙一重でなんとかあの時期に終戦できたと考えるべきか、人によっていろんな評価や判断があるとは思うけれど、読みながら、人間の力の限界と、かついかに無力なように見えても、必ず何かの機会はあるので、的確に状況を認識し続けることが大切であることと、この二つの非常に矛盾したことを、不思議な感覚でこの本には教えられる気がする。


あと、読みながら、ふとそのことに思い至って、とても驚かされたのだが、二二六事件が起こった時に、昭和天皇の年齢は、今の私の年齢だったということに、とても驚かされた。
自分があの立場だったとして、自分の周りの人間がいきなり殺傷された時に、パニックにもならず、冷静に断固として鎮圧を行うことなど、はたしてできただろうか。
ましてや、その後の十年間、自分の思いとはどんどん別の方向に国家が動いていって、悲惨な敗戦と破局へと傾斜していくのを、神経衰弱にも絶望にも陥らず、冷静にひたすら状況を的確に把握し続けることなど、自分にはできたろうかと考えると、到底できたとは思えないし、いかにその重圧や心労は大変だったろうかと思わざるを得ない。
普通の神経の持ち主では、到底身が持たなかったろう。


昭和天皇には後世にさまざまな評価があるとは思う。
保身ばかりの責任をとらなかったあの戦争の一番の責任者、という見方をする人もいるかもしれないし、一方で無私無欲でひたすら軍部にひきずられたかわいそうな天皇、という見方をする人もいるかもしれない。
それぞれの見方があって、それなりの根拠はあるのだろうけれど、この本を読んでいると、たぶんそのどちらでもないような気がしてくるのは確かだった。
いずれにしろ、どの見方をするにしろ、一度は昭和史を知るためにも、読んでおいた方がいい本かもしれない。
後世の教訓としては、極めて重いものがあるだろう。