ニーメラーの夢の話

高橋三郎著『地を嗣ぐ者』という本を、昨日読んでいて、以下のようなエピソードが載っていて、考えさせられた。

高橋三郎先生は、ドイツのニーメラー牧師に会った時に、どうしてドイツは敗戦後わずか五カ月で教会の罪を告白し自己批判する文書をまとめることができたのか尋ねたそうである。

すると、ニーメラーは以下のようなことを語ったそうである。

1945年の五月にドイツが降伏したあと、一週間、毎日以下のような夢を見た。

何か壇のような光輝くものがあり、自分はその前に列に並んでいた。
そして、その列の自分の後ろの方にいる人に向かって、その光が、「申し開きがあるならば述べなさい」ということを述べていた。
どうしても自分は振り向くことができず、後ろを見ることができなかったのだけれど、後ろの人は、
「しかし、自分には福音を聞く機会がなかったのです。」
と述べていた。
その声は、何度聞いても、ヒトラーの声だった。
その夢を毎日見て、自分はナチスに抵抗して1937年から敗戦まで牢獄に入っていたけれども、本当に自分は最善を尽くしたと言えるのか、伝えるべき人々に福音を伝えていなかったのではないか、と反省させられた、と。

そして、ニーメラーは超人的な努力をして、ドイツの教会をまとめあげて、わずか敗戦後五カ月で、教会の戦争責任について教会が自己批判する宣言をまとめあげたそうである。

うまく言えないが、このエピソードを読んで、なんとも戦慄が走る気がした。
なぜなのかはわからない。
しかし、これはおそらく霊夢の類で、単なるニーメラーの妄想ではなく、何か奥深いメッセージだったように思われる。

翻って、今の世を考えるに、本当に福音や仏典や真理を、多くの人に伝えることができているのか、自分自身本当に骨髄に徹するまで深く味わうことができているのか、甚だ反省させられる。