柳田邦男さんのエッセイの中で紹介されていた絵本を最近読んでいるのだけれど、その中に、「ずーっとずっと大好き」とう絵本があり、とても胸を打たれた。
ストーリーは、飼っていた犬が死んでしまい、飼い主の子どもが「ずーっとずっと大好き」だと言い、他のすべての人や存在にもそのように言っていくことを学ぶ、という話。
子ども向けの、とてもシンプルな絵本だけれど、とても胸を打つ良い絵本だった。
また、今日は、その絵本を探していて、たまたまついでに、「いのち」という無言館から出ている絵本も読んだ。
無言館は戦没画学生の絵を集めた美術館で、その孫にあたる女の子が、祖父の絵に出会っていのちの大切さに気付いて立ちなおる、という話。
また、「かべ」という、冷戦下のチェコを描いた絵本も読んだのだけれど、その抑圧的で自由のない生活に、あらためて自由がどんなに貴重なありがたいものかを考えさせられた。
これらの絵本を読んでから、ふと、思ったことがある。
八年前に亡くなった祖母のことである。
祖母はよく、「あの時代に生きた者でないとあの時代のあの空気はわからない」、と言っていた。
それはたぶん、言葉では形容できない、重苦しい空気だったのだろう。
今からでは想像もつかないような不自由さがあったろう。
そういえば、いろんな当時の話を聞く中で、当時はべつにたいした話はしていない時でも、「おもてに憲兵や特高がいるから、めったなことは話すんじゃないよ」と小声で注意し合うことはときどきあったという。
冷戦下のチェコと似通ったような監視や強制が、戦時下の日本でもありふれたことだったのだろう。
祖母の弟、つまり私の大叔父は、とても目がきれいな優しいいい男だったそうだ。
しかし、レイテ島に出征し、そこで二十一才で戦死したそうである。
遺骨もとうとう戻って来ず、空の白木の箱しか戻ってこなかったそうだ。
部隊でたった一人生き残った方にのちに話を聞くことがあったそうだけれど、着いた日からろくに食料も無く、飢えに苦しみ、かつアメリカの軍艦から艦砲射撃が降り注いで全滅だったという。
その方は伝令に行ったために、一人だけ死ぬことができなかったそうだ。
祖母は、大叔父が生きていればということをしばしばつぶやいていた。
祖母が亡くなる少し前、病院のベッドで意識の混濁が進んで、よくわけがわからないことを時々言い出した時も、大叔父が会いに来たと言っていた。
今思えば、祖母は戦後六十年経っていても、大叔父のことを「ずーっとずっと大好き」だったのだと思う。
私も、会ったことがないけれど、祖母の話を通じて知る大叔父のことが大好きだ。
もちろん、祖母のことも大好きだ。
先だった家族たちすべて、私が生きている限りは私はずっと大好きだし、忘れずにいたいと思う。
今日は日本が戦争で敗けたのと同時に、お盆の日でもある。
先祖や先立った家族たちに想いを馳せ、あらためてしっかりと生きることや、平和や自由の尊さやありがたさをかみしめ、先祖への感謝へと恩返しをあらためて誓う日にしたい。
あの戦争で若くして死んでいった人々のことを思えば、その分、しっかり生き抜かなければと思う。
また、あの戦争をかいくぐり、敗戦のあとの焼野原から再び立ち上がり、奇跡の復興と高度経済成長を成し遂げた私たちの祖父母の世代のことを思えば、人間はどんなことでも、どこからでも、必ず立ち上がることができるという勇気をもらう気がする。