かつて敗戦の日のあと、多くの日本人が、なぜこのような破局に陥ったのか真剣に考えた。
丸山真男や大西巨人は「無責任の体系」「責任阻却」と分析した。
しかし、311でこの体質が今も生き続けていることを私たちは目の当たりにした。
311後の原発事故は、長年の「核の四面体構造」つまり所轄省庁・電力業界・政治家・地方自治体有力者の、驚くべき癒着と怠慢と無責任の体系によって起こった出来事だった。
815と311のたびに、私たちは「無責任の体系」との闘いに、もう一度心を引き締めねばならないと思う。
もう一つ、昭和初期の日本の歴史を振り返って、私たちが噛みしめねばならない歴史があると思う。
それは、昭和初期、かつて大正時代にはあれほど隆盛を極めたデモクラシーが、簡単に木端微塵に消えてなくなったということである。
国民は、腐敗し、鈍くて遅々として進まぬように見えた政党政治に愛想をつかし、大政翼賛会や軍部への拍手喝采に熱狂していった。
しかし、今振り返って冷静に考えてみれば、たしかに政党政治も問題はあったが、多くの問題は政党政治そのものというより、軍部の暴走や官僚の権力の巨大さに起因するものであり、時勢に迎合する見苦しい政党政治家も多くいる一方で、むしろ多くの政党政治家はなんとか日本をより良い方向にしようと苦慮していたのも事実と思う。
政治や社会は首相や与党がそう簡単に何もかも動かせるわけではなく、多様な主体の複雑な駆け引きによって運営されており、そう簡単に何もかも一挙に解決するものではない。
ということを忘れて、現状への冷静で具体的な検討を欠いて、「革新」に熱狂すると、ろくなことにはならないことは、昭和初期の近衛新体制運動で一度日本は嫌というほど味わい尽くしている。
要は、その歴史から学ぶか、歴史を忘却するかにあるのだろう。
今の日本はひとつの大事な岐路にあると思う。
どうか政党政治家の方々には自分たちが国家を担っているという責任感を持って政治に当たって欲しい。
国民も、安易な革新幻想や無責任な熱狂や政党政治叩きでは世の中はちっとも良くなるどころか悪化するだけだという昭和初期の歴史に学び、政治や社会の多様な主体の複雑な動きに目を配りつつ、具体的な政策を本位にして、相対的に何がマシか、政治は悪さ加減の消去法ということを忘れずに、責任ある支持や選択をしていくべきだろう。
今年の八月十五日は、そんなことをあらためて思う。