山口二郎 「政権交代とは何だったのか」を読んで

政権交代とは何だったのか (岩波新書)

政権交代とは何だったのか (岩波新書)



山口二郎政権交代とは何だったのか』(岩波新書)を読み終わった。


民主党による政権交代によって、何ができ、何ができなかったのか、よくまとめてあって、とても考えさせられた。


著者が言うには、民主党政権交代によって、小泉改革で廃止されていた生活保護母子加算の復活や、高校授業料無償化、寄付税制の創設、障碍者基本法の改正など、それなりに達成したこともあるとする。


一方、CO2削減と暫定税率の問題や、普天間基地問題などでは、そもそも与党内部で合意が形成されておらず、迷走や失敗に終わり、しかも政権交代後すぐに予算の組み替えをしようとしたためエネルギーや時間を割かれ、国家戦略局構想も宙に浮き、全体として失敗も大きいという。


どうして民主党政権交代をなしながら、思ったほどには政策の実行や政策転換ができなかったというと、


統治機構の改変や政権交代そのものが目的化しており、実体的な政策レベルでの変更のための理念の構築が不足していたこと。
・与党内部での政策についての議論や学習の積み重ねの不足により、与党内での重要政策についての合意や力量が不足していたこと。
普天間基地問題やその年度の予算の組み替えなどいきなり難易度の高い問題に突っ込んだこと。
マニフェストの財源面での未熟性。


などの理由を挙げる。


これらの論点の中でも、著者は特に、統治形式の改革にばかり焦点をしぼり、実体的な政策レベルでの資源の再分配をどう変化させ、どう理念的に社民主義的政策を行うかという観点が欠如していたことについて注目を促し、この問題は、民主党のみならず、日本の政治学や論壇の問題でもあったことも指摘している。


著者は、自民党時代の政策決定は、「権力と責任の乖離」「レントシーキングの横行」「意思決定力の弱体化」という問題をはらんでおり、官僚内閣制とも呼ばれるものだったことを指摘する。
そのうえで、民主党の課題は、より普遍的でルール志向的な政策決定過程により、社会保障を重視した欧州の中道左派路線の政策を実行することだったと述べる。


しかし、実際は、上記にあげたような理由で、政策面での転換は不十分だった。


だが、「リスクの個人化・自己責任・アメリカ型」と「リスクの社会化・相互扶助・ヨーロッパ型」という政策や社会のありかたへの選択は今後とも選挙の際に争点となるし、またなるべきことだとし、民主党は後者を強く意識し、与党内部できちんと政策ネットワークを構築できるようになることを提起している。


また、著者は、311は、いわば民主主義の脅威・民主主義の欠如の露呈であったことを指摘し、原発ムラがいかに民意へのシニシズムと犯罪的なほどの怠慢、丸山真男がかつて指摘した大本営的な「無責任の体系」だったことを批判し、311後、いかにこの事実に向き合うかを提起している。


その中で、菅さんが浜岡原発を停止したあと、経産省や電力利権から猛烈な菅降ろしが行われたことを記し、海水注入が菅さんの指示で停止されたという「デマ」が流れ、そのデマは当時の経産省の次官が発信源だったという証言の存在や、そのデマを安倍元首相がブログで流したり、自民党がそのデマにもとづいて国会で騒いだこと、


にもかかわらず、永田メール事件とは全く異なり、デマだったことが発覚したあとも、メディアはほとんど批判せず、その責任者たちの責任がほとんど不問に付されたことをあげ、永田メール事件との落差や「不公平」の存在を指摘している。


これらは、あらためて、考えさせられることだと思う。


ローカルポピュリズムの欺瞞性や危険性についても、同書の中で厳しく批判してあり、読んでいて考えさせられた。


311を日本の民主主義の転換とするためには、たしかに、しっかりとした政策理念の構築、政党内部での政策の合意の積み上げ、政党の外の幅広い市民運動やネットワークとの連帯、ということが、政策を実行するために今後必要な課題だろう。


著者が言う通り、all or nothingではなく、民主党が何ができて、何が良かったのか、そして何が問題で、何が失敗だったかを、具体的に、両方ともきちんと認識し、今後に生かす反省をすることが、健全な民主主義の育成のためには大事なことかもしれないし、長いプロセスの一コマとして、この二〜三年の出来事も位置づけるべきことなのかもしれない。


ただ、若干危惧されるのは、仮に著者が言うことに理があったとして、今後の民主党がそうなれるのかどうかは疑問もある。
もちろん、それは今後次第だし、難しいとかだめだろうと言っていてはそれこそ本も子もないのだけれど。
多くの民主党関係者には、この本をしっかり読んで欲しいと思う。


また、民主党に直接関係のない(私もそうだけれど)、多くの一般国民からみると、やっぱりこうした諸問題をみると、民主党は政権をとるのが時期尚早だったのだろうか、という気もしてくる。
重要課題についての政策の合意ぐらいは、政権とる前にしっかりやっておけよ、と言いたくなるが、それほどに未熟な段階だったということに、今更ながら唖然とする部分もある。
ただ、いったん政権をとって、それで失敗したり蹉跌してこそ、次にはもっと成熟し、より準備や努力を積み上げることができるという風に考えた方がいいのだろうか。


よほど発信力と統率力のあるリーダーが現れない限り、ちょっと民主党の再生は難しい気もするが、ともかくも、この本は叩き台にはなるだろうし、どのみち次の選挙では民主党は惨敗するだろうけれど、そのあとにこそ本当に生きてくる本になるのかもしれない。
また、生かしてもらわないと困る。


不幸なことに、あまり自民党が適切な反省もせず再生しきれず、ローカルポピュリズムにもあまり期待できないとすれば、民主党には次の選挙で負けたあとにもう一回再生してもらわないと困るというのも、残念ながら「悪さ加減」の選択として見た場合の、今の日本の政治の現状ではあるのだから。