「もう一度、日本を改めて創るんだ、そういう覚悟でこの危機に一緒に立ち向かっていこう」
「未来の日本の本当に、あのときの苦難を乗り越えて、こうした日本が生まれたんだと言えるような、そういう取組みを、それぞれの立場で頑張ろう」
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201103/18message.html
菅さんのあの時のメッセージをあらためて思い出した。
山口二郎先生が『政権交代とは何だったのか』(岩波新書)の中で、
311は民主主義の欠如の露呈であったことを指摘し、原発ムラがいかに民意へのシニシズムと犯罪的なほどの怠慢と「無責任の体系」だったかを批判し、311後この事実に向き合うことを提起していた。
いま、あらためてそのことを考えさせられる。
三一一を日本のエネルギー政策や民主主義のありかたを見つめ直す大事な起点にするかしないか。
それは私たちの今後のありかたを左右するのと同時に、震災で亡くなった方々への責務を問われることだと思う。
昨年末の選挙で政権に復帰した自民党は、民主党政権における2030年代までの原発ゼロ政策をなかったことにした。
吉岡斉先生は、
「日本の原子力発電事業の在り方は、日本社会全体の縮図である。従ってその問題点と解決策を明らかにできれば、その解決策は日本社会の抱える多くの問題にも適用できるはずである。」
と三一一の以前にすでに指摘していた。
三一一があたかもなかったようなエネルギー政策に戻ってしまうのか、それともそうはさせないのか。
それは結局のところ、日本社会全体のありかた、日本のデモクラシーのありかたが問われているのだと思う。