二十年ぐらい前のドキュメンタリー番組だけれど、マルコムの兄弟や奥さん、娘さん、友人たちが出てきて証言してて、とても興味深かった。
マルコムXは、ともかくも、本当に誠実に生きた人だったんだと思う。
時にその表現が過激だったり、誤解を招いたり、本人自身いろんな葛藤や挫折を抱えることがあっても、なおかつ多くの人に愛され、強いインパクトを与えたのは、マルコムが本当に至誠を尽して生きた人だったからだと思う。
この番組を見ていて、特に印象的だったのは、刑務所に服役していた時に、”dignity” (尊厳)を “reeducation” (再教育)しようと、徹底してさまざまな歴史や文学を学び直したということだった。
マルコムが言うには、アフリカの黒人の歴史は、白人によって徹底的にネガティブに語られてきた。
そのネガティブに語られてきたものをひっくり返し、ポジティブにとらえなおすことが、reeducationであり、そこにdignityが取り戻せるということだった。
この視点は、アメリカの人種問題以外の、さまざまな問題にも、応用が効くし、ともすれば必要なことかもない。
通例、支配的なグループによってネガティブに語られることは、実は視点を変えればそうではない場合も多い。
たとえば、日本においては、ニートや派遣社員は、自己責任や負け組などの言語ではネガティブに語られるし、その結果、多くの人が尊厳を失い、場合によっては自殺してしまう場合もある。
もちろん、全く自分の努力が足りない場合もあるのかもしれないが、努力を尽して厳しい環境にいる人の場合は、あまり自己責任論だけに還元するのは誤りだろう。
自己責任論はしばしば社会的無責任論になる。
アメリカほど、人種差別の問題はない反面、日本においては、社会的な問題が可視化されにくく、漠然と支配的なムードや言説に無批判にからみとられることがあるかもしれない。
正確に問題を把握し、それをはっきりと明晰な言語で表現し、人々の意識に革命を起すためにインパクトを与えること。
マルコムXはそのことに関して、天才的な才能とひらめきを持っていた。
もっと長生きしていれば、さらに発展し、進歩を遂げたマルコムの言説を見ることができたのかもしれない。
他の本で読んだのだけれど、キング牧師とは一度しか直接は会ったことがなかったそうだけれど、意外ととても意気投合し、協力しようという感じだったそうである。
いつの世も、大なり小なり、さまざまな苦しみや問題を人の世は抱えているけれど、常に壁にぶつかりながら自分を修正し続け、dignityをつかむために自らをreeducationし続けたマルコムの姿勢は、後世の人々の心を今もつかむものがあると思う。