いくつかの思い出すエピソード 勝敗に際した際の歴史上の人のことなど

私は別に格別勝敗について考えるわけではない時でも、ときどき思い出すいくつかの勝敗に際した際の人のエピソードや姿がある。
それは心の中で、なんらかの支えや手本のような気がしている。


ひとつは、南北戦争の時に、アポマトックスでのリー将軍とグラント将軍の会見のことである。
死力を尽くした戦いのあと、ついに南軍は降伏することになった。
南軍の司令官のリー将軍は、降伏の会見の時に、少しも卑屈にならずに端然としていて、新しい軍服に身を包んでいた。
一方、北軍のグラント将軍は少しも驕らずに、風雨にさらされてきた軍服を着ていて、率直に謙虚に接したという。
南軍に対し、北軍は最高の敬意を表す「捧げ銃」を降伏の儀式の時に行った。
このエピソードは、何度思っても深く感じ入るものがある。
勝つにしろ負けるにしろ、男はそうありたいものだと思う。


もう一つは、第二次大戦に敗北し、降伏した後、吉田茂が、
「戦争に負けて、外交に勝った歴史もある」
と言ったというエピソードである。
吉田茂の健康を管理していた医師の武見太郎の回想によれば、マッカーサーと面会するときには、いつも吉田茂は血圧が二百を超えるぐらいで、非常に緊張していたそうである。
しかし、実際に会う時には、落ち着き払って、戦時中になんとか保管しつづけていた葉巻煙草を悠然とくゆらせながら、堂々と会っていたという。
私はその吉田茂の、負けても品格を失わない痩せ我慢の構えみたいものが、どれだけあの時代の日本を保ったかということは、たぶん後世の我々にはわからないほどのものがあったと思う。
また、ダレスが要求する再軍備要求を巧みにかわしながら、憲法九条と軽武装を保ち続け、経済復興を優先したところも、吉田は本当に賢明だったと思う。
ある意味、戦争に負けたけれど、外交や経済で、日本はその後勝った歴史を本当に作ったのだと思う。


もう一つは、幕末の時の、幾人かの地味な藩の家老の人々である。
小倉藩の家老の島村志津摩は、第二次長州征伐で長州に幕府方が惨敗し、絶体絶命になった時に、小倉藩の軍勢を立て直し、反撃に出て、幼君を人質に出すという条件を撤回させて、長州と名誉ある講和を結んだ。
肥後藩の家老の長岡監物は、第二次長州征伐において、幕府軍が長州に惨敗する中で、肥後藩の軍勢を水際立った指揮でまとめて長州軍を一度撃破し、武士の面目をよく保った上で、鮮やかな撤退を決断し、自分たちはろくに闘わない幕府のために犠牲を出すことも回避した。
庄内藩の家老の菅実秀は、戊辰戦争の時に、奥羽列藩同盟を裏切り官軍方についた秋田藩を粉砕し席巻した後、官軍の主力がやってくると迅速に撤退して庄内の城に籠り、薩摩と和平交渉をし、寛大な条件での降伏をまとめあげた。
彦根藩の家老の岡本黄石は、井伊直弼が暗殺された後の彦根藩をよくまとめて、幕府にも朝廷にもどちらにも過度につかず、彦根藩が無事に幕末・明治を生き残れるように率いていった。
これらの人々は、薩長会津を中心に描かれる幕末の歴史ではほとんど注目されないし、ドラマにも小説にもまず登場しない。
薩長土肥のようにうまく時流に乗れなかった点では、負け組ということなのかもしれない。
しかし、一藩の面目をよくはかり、困難な状況の中でなんとか生き残りを図ったこれらの人々の姿は、なぜか深く心に残るし胸を打たれるものがある。


もう一つは、最終的には勝った側なのだけれど、第二次大戦中のチャーチルとドゴールのエピソードである。
チャーチルは、ナチスが快進撃を続けてヨーロッパが席巻されている時も、ナチスに決して屈することなく、”never,never,never give up” と演説したことは有名な話だけど、ダンケルク撤退の頃は、イギリス国内でも早くドイツと講和しないとダンケルクのイギリス軍が全滅するという意見がかなり多かったそうである。
しかし、チャーチルは、ダンケルクの軍隊を救出するために全力を尽くす一方、断固として降伏や講和は拒否して、ナチスドイツとの徹底抗戦を貫いた。
また、ドゴールは、フランスが降伏した後、独断でイギリスに亡命し、勝手に亡命政府をつくり、何の権利も権限もなかったはずなのに「自由フランス政府」を名乗り、フランスは不滅であることを本土に向かってラジオで演説し、レジスタンスを呼びかけ続けた。
ドゴールは、国土も何もなく、単なる亡命の身だったにもかかわらず、チャーチルが呆れはてるほど傲慢な態度で、米英に対し対等の態度であらゆる交渉に臨んだそうである。
最終的には勝ったものの、ヒトラーがヨーロッパを席巻している時は、おそらくチャーチルやドゴールも痩せ我慢の精神だけで生きていたのが実情ではないかと思う。
それだけに、その精神力は本当にすごかったと思う。

他にも、勝敗に処した時に、見事な態度だった人物は、歴史上多々いると思う。
スリランカの寺院の僧侶の人々が、イギリスの植民地統治時代も、自分たちの伝統を守り続け、イギリスの植民地総督などがかえって相談にやってきていたという話や、スリランカの現地の地主などの人々が植民地統治下で交渉によって普通選挙自治議会や憲法を徐々に勝ち取り、独立もわりとすんなりと交渉によって得たという話も、なんだか考えさせられるものがある。


いろいろ考えると、勝ったか負けたかは時の運もあるので、それぞれの役目や運命としてどうでもいいことで、大切なことは、勝敗に際した時の自分のインテグリティや面目の守り方や貫き方であるし、相手の恣意を許さない程度の誇りある負け方なのではないかと思う。


どうも昨今の日本は、勝ち組・負け組などという言葉が流行っているけど、勝敗にこだわるよりかは、自分なりのインテグリティや誇りということを心がけた方がいいんじゃないかなぁという気がする。