今日は

今日は、十二年に一度の秘仏の御開帳があるというので、小郡の如意輪寺に行ってきた。


ちょうどつつじやあじさいやしゃくなげが美しく咲いていた。


御本尊の如意輪観音は、とても優しい顔の、優しいオーラの御像で、平安時代の作だそうである。
十二年に一度しか見れないので、今日見れて良かった。
十二年後にまた機会があったらいいなぁと思う。


たまたま、お寺の世話役をしているという在家の近所のおじいさんと話したら、数日前の法要の時は、インドのブッダガヤや長安青竜寺からも偉いお坊さんが来てくださったそうである。
そのおじいさんをはじめ世話役の人たちが、法要の時に裃を来ていたら、インドのお坊さんがサムライと言って喜んだそうである。
そのおじいさんは八十一才だそうで、お元気ですごいなぁと思った。


ここは、境内やお寺の中にいっぱいかえるの置物があって、なかなかめずらしく、かわいかった。
境内の新緑もとても美しかった
また、坂村真民さんの詩碑も多数あって、あらためて深い感銘。

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それから、今村のカトリック教会に行ってみた。
今村は、福岡では唯一、隠れキリシタンが江戸時代を通じてずっと信仰を保ち続けていたというところ。
明治大正になってからこの立派な教会を建てた。
十数年前に一度来たことがあったのだけれど、とてもきれいな、見事な教会建築だった。


また、その教会からちょっと離れたところに、ハタモン場というところがある。
そこは、後藤寿庵磔刑になった場所と伝えられている。

後藤寿庵は、伊達政宗の家老で、岩手の水沢では今でもとても慕われているそうである。
河川の氾濫が絶えず農業も困難だった水沢の地で、カトリックの宣教師から教わった科学技術を駆使して灌漑や治水を行い、豊かな土地に変えた。
武将としてもすぐれた人物だったそうだ。
幕府の禁教令が出た後も、後藤寿庵は頑として棄教を拒んだので、伊達政宗も泣く泣く部下に討伐を命じざるを得なかった。
しかし、政宗の家老の片倉小十郎はよく心得た人間だったので、わざとゆっくり軍を進ませ、遠くからわざと鉄砲を撃ったりして近づいていることを知らせたので、到着した時にはすでに後藤寿庵は脱出していたそうである。


そのあと、どのようなルートを通ってこのあたりに来たかわからないが、福岡南部で弾圧や取締りをかいくぐり、人々を励まして、布教を続けていたところ、捕まり、棄教を迫られたが断固として断り、この地で殉教したそうだ。


今村の地では、このハタモン場の地で、一カ月に一度極秘裏に村人が集まり、江戸時代の間を通じて、ラテン語オラショをみんなで暗唱し続けたそうである。
寿庵のことを忘れずに語り継いだ村人の人々もすごいが、何かそうさせずにはいられないものが、きっと寿庵の生き様や死に際してあったのかもしれない。


小さな、このような石碑があるだけの場所なのだけれど、不思議と心が震えるような、すごい場所である。
十数年前、一度来たことがあったのだけれど、今日もまた来れて良かった。


(なお、キリスト教に詳しいある方に尋ねたところ、この石碑の魚の下に書いてあるギリシャ語は、


イエス・キリストは神の子であり救世主」


という意味の符牒で、キリスト教が禁止されている時代に、相手がクリスチャンかどうかを確認するために使われたそうである。


Iesous Christos Theou Yios Soter
イエースス クリストス テウー ヒュイオス ソーテール
Jesus Christ God's Son Savior )



それから、大刀洗平和記念館に行った。
大刀洗には、大正の頃から軍の大きな飛行場があり、航空部隊の一大拠点だったそうである。


記念館には、その歴史や、多くの戦闘機の模型、そして実物大のゼロ戦や、海から引き揚げられた97式戦闘機が置いてあった。
また、B29の実物の大きさの針金の模型が天井に釣ってあり、その大きさに絶句した。
大戦末期は、屠龍などの戦闘機が、四倍の大きさのB29に体当たり攻撃を敢行し、屠龍のパイロットたちも、B29のパイロットたちも、死亡することがあったそうである。


記念館の中には、日本や米軍の大刀洗周辺で戦死した軍人たちの顔写真と名前と没年、また米軍の爆撃で亡くなった女性や子どもたちの顔写真と名前と年齢が書かれていて、それらを見ながら、深い感慨を持たずにはいられなかった。
特に哀れなのが、頓田の森というところで、避難していた小学生の児童の集まりに米軍の爆弾が落ちた、一発の爆弾で二十名以上が亡くなったということである。


一身を犠牲にして国を守ろうとした特攻隊の人々の崇高さも忘れてはならないし、子どもまでが無残に殺されていく戦争の悲惨さを、後世の私たちはやはり忘れてはならないのだろう。


如意輪観音の御開帳に行こうと思っただけで、特に計画を立てて行ったわけではなく、ハタモン場や平和記念館は行った先で思いついて行ったようなものだったけれど、期せずしてなんだか巡礼のようなドライブになった。


良い一日だった。


後藤寿庵についての本など、またあらためて調べ直してみよう。