昨日、野田さんの広島平和祈念式典での演説をテレビ中継で見た。
無難にまとめているけれど、もうちょっと心をこめて心の声を響かせても良かったんじゃないかと思った。
昨年の菅さんの方が、福島原発事故にも言及し、心に響く演説だった。
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201108/06hiroshima.html
去年、菅さんは、広島の式典で、
「我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。」
と明言した。
今思えば、よくあれほどの言葉を菅さんは明言したと思う。
脱原発を支持する国民が、もっとあの時、菅さんを本気で支えていればなぁと、あらためて思った。
大飯の再稼動も経産省の資源エネ調査会の人事も全然違ったろう。
もんじゅ廃炉まで決定できていたかもしれない。
結局、せっかく良いことを言っている首相がいても、国民の側が少しも耳を傾けないと、それがあまり生かされないという事態が起こる。
いつも、私たちはさまざまな選択肢の中にいる。
何か重大な出来事が起っても、それを生かそうとしなければ、簡単に無になってしまう。
大事な機会や良い条件が整っていても、偏見や色眼鏡に目が曇っていたり、他からの誹謗中傷を鵜呑みにして、大事な政治家を守れず、簡単に葬り去ってしまうこともある。
思えば、第一次世界大戦と第二次世界大戦の勃発の間は二十五年間。
チェルノブイリと311の間も二十五年間だった。
第一次世界大戦をほとんどの日本人は他人事として済ませてしまい、第二次世界大戦で苦しんだ。
ドイツも、結局ワイマール共和国を自らの手で葬り去り、悪意と悪口雑言と足の引っ張り合いをしているうちに、最悪の時代を招くことになった。
人間はなんと愚かしいのだろう。
二十五年の間に、何も学ばないか、あるいは少しでも賢くなっていくのか。
チェルノブイリと311の関係はどうだったか、そしてこれからの二十五年間をどうするか。
希望の芽は、どちらも他人事とせず、真摯に向き合う人の中から生じる。
これからの二十五年、日本がどうなるかは、結局我々次第なのだろう。