先日、鎌田実さんが原作の絵本「雪とパイナップル」を読んだ。
とても素晴らしい一冊だった。
ベラルーシで本当にあった出来事を元に書かれている絵本。
311後の日本の我々には、この本が描かれた当時以上に、胸にしみることが多い。
その中に、
「ちかごろ世界は 許すこと、感謝すること、ほほ笑みあうことを忘れてしまっていることに」
という一節があり、心に響いた。
感謝することや、ほほ笑みあうこと、許すこと。
それこそが、本当は一番尊いことだし、大切なことだろう。
しかし、なんと今の日本はかけ離れているのだろう。
たとえば、ツイッターを見ていると、素晴らしいつぶやきの人も多くいる一方で、非常に粗雑で粗悪の言葉の人も多い。
慈悲や協力の言葉や正確な事実を伝える人もいれば、不和と悪口雑言とデマや誇張の言葉ばかり紡ぐ人もいる。
自他の幸福を招くのはどちらか、自他の不幸を招くのはどちらか。
言葉には大きな力がある。
日本人の言語表現能力の低下がしばしば指摘される。
ツイッターも散々なものだ。
「野田死ね」「消費税反対」など単語を言えばいいというものではない。
なぜそう考えるのか、丁寧に論理的に礼節を守りつつ意見を言うことこそが大事だ。
世の中を良くしたいならば、丁寧な言葉と丁寧な思考こそが大事だ。
ツイッターやネットは、人と人とをつなぎ、思いをつなぐ道具にもなる。一方、悪意に満ちた誹謗中傷や人と人とを分断する道具にもなる。
どちらにするかは、それぞれの人の心次第だ。
後者ばかりに使っている人々は、日本にとって百害あって一利ない。
そういう人は、自分自身の人生も貧しくし、破壊するだけだろう。
一部の小沢派のツイッターを見ていると、どうしてあのように、菅さんや小熊英二さんに対して悪意に満ちた曲解と誹謗中傷ができるのか、不思議で仕方がない。
どこまで心が荒廃し、言葉が荒廃しているのだろうか。
昔の武士というものは、敵にも礼節を払い、敬意を払ったものだ。
場合によっては敵に塩を送ることまでした。
そうした武士道の心は、彼らの心にはひとかけらも残っていないのだろう。
愛国や反米などと言う前に、自分たちの心に大和魂や武士道が残っているか、ああした人々はよくよく省みるべきだ。
小沢派が本当に脱原発を目指すならば、党派心を捨てて、脱原発基本法を実現することに尽力すべきだ。
社民党の福島さんは、実際に党派心を捨てて、菅さんや辻元さんが提案しているこの脱原発基本法の実現を目指している。
311を無にしないためには、脱原発基本法を制定・実現すること。
それこそが、もう一度新しく日本を創っていくことにつながる道だ。
悪口雑言や誹謗中傷をしている暇があるならば、いま明日のためにリンゴの樹を植えよう。
破壊よりも建設を。
不和よりも協力を。