自信自重について

福沢諭吉が「自信自重」という言葉を言っている。
思うに、「自分にはできる」と思うことと、「自分は重要な人間である」と思うことの、二つの大切さを言っているのだと思う。
この二つは、人が生きていくうえで、とても大切なことだと思う。


個人においてそれが大事なように、一国においてもそうだと思う。


適切な自尊心を持つためには、今まで成し遂げてきたことを思い出すといいそうである。個人がそうであるのと同様に、一国もまたそうだろう。
日本ほど多くのことを成し遂げてきた国は多くはない。
311ほどの大震災にあっても、一国の経済が崩壊することもなく持ちこたえ、通貨は高い評価を得ている。


また、あれほどの震災にあって、よく秩序を保ち、協力し合い、大規模な混乱や略奪が起きない国は、日本の社会ぐらいだろう。
震災後、柔軟に脱原発に政治も社会もシフトし始め、再エネが急速に普及している点も日本ならではの機敏さを示すものである。


しっかりとした自分の考えを持つ人々が自由な意志表明を活発にネットを通じても行い、またデモを行ってきたこと。
そしてきちんと、前首相や現首相が対話に応じていることも、デモクラシーや言論の自由が浸透した社会でなくてはありえないことだ。
世界にそんな国は多くはない。


ただし、日本の重大な問題は、とかくマスコミも、そしてそのマスコミを鵜呑みにした多くの人々も、なんでも悲観的な言辞を弄し、悪い事ばかりをあら捜しし、良いことは無視し、首相や政治家は人非人のように悪口雑言する傾向である。
これでは良いことすら失われていくばかりだろう。


日本は、今までの歴史で多くの試練を乗り越えてきた。
飛鳥奈良、鎌倉、戦国、幕末明治、昭和。
これらの成功体験を思い出せば、日本の底力がいかにすごいか、誰にでもわかるとことだ。
大事なのは、いつの時代の日本人でも、「自分たちはできる」と信じていたことだろう。


311後の日本も、必ず新しくまた日本を創っていくことができる。
なぜならば、それだけの底力が日本にはあるからである。
再エネもいま急速に普及している。
脱原発依存も、財政の再建も、社会保障の充実も、日本は必ずできる。


私が極めて違和感があるのは、マスコミやツイッター等で多くの人が、とかく日本のだめなところや、現政権である民主党政権のだめなところばかり大合唱していることである。
物事には必ず良い側面と悪い側面がある。
一方のみを見るのはいかなる場合でも間違っている。


生活保護母子加算の復活や高校授業料無償化、寄付税制等、近年の現政権にも多くの業績がある。
菅政権時の再エネ法制定や脱原発方針の明言、浜岡原発の停止や、最高の人選での政府事故調の設置、B型肝炎の和解や諫早湾水門開門の決断、湯浅誠さんらを起用しての自殺対策で実際に自殺者数を大きく減らしたこと、野田政権での公務員人件費の削減や年金一元化も、民主党政権の業績の一つだ。


さらに言えば対外政策においても、竹島問題で国際司法裁判所に提訴することを打ち出し、尖閣日米安保の対象だとアメリカから言質をとったり、現実的な動的防衛力を打ち出すなど、よく考えれば高く評価できる業績である。
いい加減ダメダメ大合唱して悪い側面しか見ないのは止めるべきではないかと思う。


先日も、再エネ法が一か月で大きな成果をあげたことが報じられていた。



【再生エネ買い取り 1カ月で年間目標2割】

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012082102000131.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter


もし脱原発を目指すならば、再エネの普及は至上命題。
菅さんがあらゆるバッシングに耐え続け、再エネ法を実現したおかげで、この急速な普及。
あの時菅降ろしをしていた自称脱原発派は少しは自己批判をすべきではないか。


思うに、マスコミから叩かれるよりは、福田・麻生・菅などのここ最近の首相は、ずっと立派な首相だったと思う。
少なくとも無責任なマスコミやブロガーよりは、はるかに洞察力や国家社会への責任感があった。


野田さんは先日の市民団体との対話で、「基本的な方針は、脱原発依存だ。中長期的に原子力に依存する体制を変えていく。」と明言した。
あまりむやみに叩くよりこの言質をしっかりとって、その実行を確実に具体的に迫っていく方がいいのではないだろうか。
どうも一部には野田叩きありきな気がして疑問だ。


一国の首相と前首相がきちんと対話し、しかも「脱原発は基本方針」とちゃんと言っているのに、悪口雑言しか言わない連中って何なのだろう。
いったい何様のつもりなのかと唖然となる。
どんな教育を受けてきたのだろうか。
お互いの立場を尊重し、相互の接点や妥協点を見出す努力は念頭にないのか。


福沢諭吉が、対案もなく礼節もなくむやみやたらと政府をこき下ろして不平不満ばかりを鳴らす民権派を「駄民権」と言ったけれど、今の世も本当に「駄民権」が多いと思う。
もちろんそうでない立派な人も多い。
しかし、脱原発派はすべからく、大江さんの言葉を使うならば"decentな"ものであって欲しいものだ。


「自信自重」、つまり、「自分にはできる」「自分は重要な存在だ」という思いを、個人でも各自しっかり持つことと、自分の地域社会や国家に関しても持つことが、人は大事だと思う。
また、そのような心から、すべからくいかなる他人をも尊重すべきである。


日本はこれからも大きなことができるし、国際社会の重要な一員であることは、日本人は各自はっきり認識すべきだろう。


世界の人口が七十億人だとすれば、日本人はだいたい一億ぐらいなので、七十人に一人は日本人だ。
この人類の七十分の一は日本だと考えれば、いかに我々が大きな一部を担っているかよくわかる。


自信自重、独立自尊、自尊尊他。
それらができれば、必ず日本は、今まで以上に素晴らしい国になる。
要は、そのための日々に細かな言葉や行為の選択が大事なのだと思う。