寓話 モント・コロンボ

3112年、その数年前に首相をやっていたモント・コロンボ氏は、彼自身がつくった政党デモクラティオ党が、既得権益と闘わなくなったと痛烈に批判していた。


コロンボ氏が言うには、デモクラティオ党は既得権益と闘うために氏がつくったのに、発足の精神を忘れて今や既得権益を擁護する側に回ってしまったそうである。


しかし、疑問だ。
既得権益とは何なのだろうか?


コロンボ氏の次の首相だったキャン氏は、巨大な既得権益団体だった原子力発電の企業やそれと結託した官庁と果敢な闘いをしたが、それを始終邪魔をして足を引っ張り、キャン氏の早期退陣を余儀なくさせたのはコロンボ氏だった。


また、キャン氏の次に首相になり、今現在も首相であるノーダ氏は、果敢に公務員の人件費削減に取り組み実行し、かつ公務員と民間の年金一元化も成し遂げた。
にもかかわらず、今またコロンボ氏はノーダ氏を引きずりおろすためにやっきになっている。


そもそも、コロンボ氏は首相在任中、首相を辞めたら次の衆議院選挙には出馬しないと言っていた。
にもかかわらず、次の選挙にはやはり出馬するそうである。
かつ、自分がつくったデモクラティオ党は、約束を破ってばかりだといつも批判している。


コロンボ氏は巨額の資産家の出身で、母親から法外なお金をもらっていたが、それが贈与税を支払っていない脱税だということで、数年前問題になった。
実に、11億7000万円も七年間で母親から贈与されており、それを申告せず、脱税していたことが発覚した。
発覚してから、6億970万の贈与税を納付したが、課税時効が五年以上経っている分には成立していたため、1億3000万円が時効成立ということでのちに還付された。
この1億3000万円、コロンボ氏は国庫に納めるなり慈善に使うなりするかと思えば、ちゃっかり自分の懐にしまいこんだ。
国民の模範たるべき首相が脱税をしてどうなるのかと当時ヨサーノ国会議員は舌鋒鋭く批判したが、コロンボ氏はどこ吹く風だった。
(ちなみに、ヨサーノ氏はその後、党派心を捨ててキャン政権に協力して、大きな業績を成し遂げた。)


しかし、驚くなかれ、ヤパニオ国では、このコロンボ氏の言動に、それほど憤慨する国民は多くない。
むしろ、コロンボ氏は立派な善い政治家だ、という声も多かった。
キャン氏とノーダ氏の方がむしろ不評のようである。
ヨサーノ氏も、もはや政界での影響力を失い、すでに過去の人となりつつあるようだ。


なぜならば、ヤパニオ国では、責任や業績という言葉の意味が全く転倒しており、できもしないことを言って失敗しても、それはあまりとがめられず、むしろできることをしっかりやった政治家の方がつまらないということになるからである。
また、キャン氏やノーダ氏は貧しい庶民出身だったが、庶民は同じ階層の出身の人間は馬鹿にして蔑み、大資産家のコロンボ氏の方が家柄もよく出自も良いと慕うのである。


ヤパニオ国では3111年、深刻な原子力発電所の事故が大地震によって起こった。
その時、キャン氏が首相だったため、無責任な電力会社を一喝し、なんとか首都圏三千万人移住という最悪事態を避けられたが、ヤパニオ国では怒鳴る人は嫌われ、物腰のやわらかい人が好まれるため、キャン氏は怒鳴ったという一事で甚だ不評となり、コロンボ氏は丁寧な物腰のため、やはり一部の人々からは大変好かれ続けていた。
何をやるかより、いかなる物腰かが、ヤパニオ国では重視されるのである。


次の選挙でも、モント・コロンボ氏はやはり国会議員に選ばれるようである。
何をしようと、何をしなくても、ヤパニオ国の国民は大資産家や家柄の良い人が好きであり、現実的に何かをした政治家よりも、夢のような言葉を快く響かせ続ける政治家の方を好むのである。




(ちなみに、ヤパニオ国では、千年以上前につくられた人工言語エスペラント語公用語として採用されている。コロンボ(kolombo)の意味は鳩、モント(monto)の意味は山という意味である。)