寓話 「3112年 とある歴史書の発見」

その年も、「本土」と「島」の言い争いが起っていた。


「本土」の言い分としてはこうだった。
国土の99.4%を占める「本土」は、「帝国」の基地の75%をすべての県に普く受け入れてきた。
なのに、「島」は、自分たちだけほとんど負担をしていない。
部分的に負担しているとしても、全体からみれば微々たるものだ、と。


「島」の言い分はこうだった。
六十七年前の、あの「鉄の暴風雨」で、自分たちは多くの血を流した。
だからこの六十七年間、特例として基地負担の免除が認められてきた。
かの「鉄の暴風雨」の時の軍司令官は遺言として、「「島」はこれほどに闘った。後世は格別の配慮をして欲しい。」というメッセージを残した。
その遺言が実行されてきた戦後を誇らしく思うし、引き続き今後も配慮されたい、と。


「本土」は言った。
それはもう六十七年も前の話で、どうしても我が国の防衛のためには「島」に「帝国」の陸戦隊がいる必要がある。
「本土」ではしばしば婦女子が暴行を受けている。
それにも耐えて、「帝国」の基地の負担を受け入れている。
「島」だけがずるいのではないか、と。


「島」は言った。
すでに「本土」では、「帝国」の基地に依存した経済ができあがっている。
基地が「本土」から移転して、本当に「本土」は経済が成り立つのか、失業はどうするのか?と。


「本土」は言った。
大丈夫だ、経済特区の工夫によって経済の活性化の方策もある。
いつまでも「島」のエゴは許されない、と。


「島」は、自分たちが六十七年間享受してきたものはエゴだったのかと、考えた。
かつて、自分たちも多くの血を流した。
しかし、「本土」では、3095年には、「帝国」の軍人三名によって12歳の少女への暴行事件が起こった。
同様の事件はその前も後もしばしば起きている。
また、その九年後には、最高学府のキャンパスに「帝国」のヘリコプターが墜落する事件があった。
それを考えれば、戦後67年経った今、自分たちのエゴを見直し、「本土」の基地の受け入れもやむをえないのかもしれない。
しかし、そうすれば、騒音に苦しめられ、「帝国」の軍隊の犯罪の脅威にさらされる。
だが、「本土」では「都」にある基地の移転先として樹海が選ばれ、大規模な樹海の伐採が予定されており、ニホンカモシカニホンオオカミなど絶滅危惧種への甚大な被害が予想されている。


「帝国」の軍隊は不要なのではないか、という主張も一部にあるが、近隣諸国との関係や地域の安全保障のために、当分は難しいようである。


そんな時、一千年ぐらい前の歴史書が発見された。
火の七日間の前の歴史を記したもので、「記紀聞書き」の未発見の第三章だった。


それには、その昔、ある国において、国土のたった0.6%を占める地域が、基地負担の75%を背負い続けたことが記されていた。
不思議なことに、今の歴史とよく似ていて、「鉄の暴風雨」とよく似た戦争の歴史があったことも記されていたが、それにもかかわらず、上記のことがその後もずっと行われ続けたそうである。


そのような不公平なことがはたして長期間続いたことがそもそもありえたのか。
多数者の側がどうしてそれを恥と感じて是正しようとしなかったのか。
腑に落ちない歴史だと、現代の多くの人々は思った。


このような野蛮な時代の不公正な人々に比べれば、現代の「島」と「本土」ははるかに多く、お互いを配慮し合い、今までも誇るに足る歴史を持っていたので、きっと公正に解決ができる。
そう、「島」と「本土」の人々はこの歴史書を読みながら考えた。